今日は、本編のホームページに、川中島古戦場巡りの散策記をアップしました。

本編のホームページは こちら です:
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/index.html





3回目の今回は、山本勘助墓の様子です。
 第1回目の記事は こちら です:
 https://ameblo.jp/shanehashi/entry-12737642508.html

 第2回目の記事は こちら です:
 https://ameblo.jp/shanehashi/entry-12738700734.html


川中島古戦場史跡公園から胴合橋を訪れ、千曲川の堤防を北に向かいます。
更埴橋を渡り、千曲川右岸に出ました。



撮影: 2011年10月

再び眺める千曲川の流れです。
千曲川右岸の堤防を南に少し戻ると山本勘助墓の案内板がありました。


撮影: 2011年10月


堤防から河原に下っていくと、信州柴阿弥陀堂跡の立派な碑がありました。
この信州柴阿弥陀堂に山本勘助の墓がありました。

山本勘助は、1493年(明応2年)または1500年(明応9年)に今の愛知県豊川市牛久保で生まれています。
26歳の時に諸国へ武者修行の旅に出、1536年(天文5年)に今川家に仕官しようとしましたが、その願いは叶わず牢人の暮らしを続けるうちに1543年(天文12年)に武田家に仕官する事となったようです。

武田家で頭角を現した勘助は、信玄の軍師として活躍します。
1561年(永禄4年)の第四次川中島の戦いでは、膠着した戦況を打破する為、"啄木鳥戦法"を献策しますが、上杉軍はその策に嵌らず、武田軍は危機的状況に陥りました。
山本勘助はこの状況に責任を感じ、奮戦した後に戦死したそうです。



撮影: 2011年10月

山本勘助のお墓です。

信州柴阿弥陀堂は文明年間(1469年~1486年)の建立です。
1561年(永禄4年)の川中島の戦いの後、武田信玄が守護仏を奉納し、両軍の戦死者を弔っています。


山本勘助のお墓周辺の河原は耕地にもなっていて、のどかで広々とした眺めです。


撮影: 2011年10月


千曲川の改修で、移転された信州柴阿弥陀堂を目指しました。


撮影: 2011年10月

廃線となった長野電鉄屋代線の金井山駅にすぐ近い位置でした。
長野電鉄屋代線は2012年4月1日に廃止されてしまいました。

 長野電鉄屋代線の乗車記は こちら です。
 http://shanehsmt.html.xdomain.jp/Train/Japan/Shitetsu_1/Nagaden.html#Yashiro


今日紹介したホームページの川中島の散策記は こちら です:
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/Travel/Japan/Chubu0/KawanakaJima.html#Kansuke

 

 

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