コロナ感染者も大幅に減少し、緊急事態宣言も解除されました。
昨日の秋晴れの土曜日に、馬籠・妻籠に行ってきました。

名古屋発 8:00の「しなの3号」に乗りました。




自由席に乗ったのですが、座席はほぼ埋まっていました。
行楽などで出掛ける人が増えているようです。

中津川で「しなの」を下車しました。



良く晴れて、いい散策日和になりそうです。
中津川で、馬籠行のバスに乗り換えました。




20分程で、馬籠に到着です。



馬籠は中山道の43番目の宿場町です。
坂の上に作られていて、宿場の入り口から坂道が続いています。



旧中山道の両側には古い建物が続いています。
その建物はお土産物屋さんや博物館などになっています。



600m程の宿場を抜けると高札場があり、その奥に展望台がありました。
ここからは、馬籠宿の向こうに広がる中津川の平地と、左手には恵那山が聳えています。



恵那山は、愛知県東部の三河地方の平野部から望める馴染み深い山です。
晴れ渡った空に恵那山が綺麗に見えていました。


島崎藤村のお墓のある永昌寺を訪れ、馬籠の宿場に戻ると、旧中山道に一匹のネコがいました。



街道をゆく観光客に愛想を振りまいていました。

高札場のすぐ近くにある陣馬のバス停を10:59に出るバスで、妻籠に向かいました。




馬籠と妻籠の間は10km程離れています。
20年近く前には、妻籠から馬籠まで歩いたことがあります。
歩くと2時間半ほどの距離ですが、バスは馬籠峠を過ぎた急坂を何度も曲り、20分程で妻籠宿に着きました。

妻籠宿の高札場の様子です。



妻籠は日本が高度成長へと突き進んでいた1960年代に、他の地域に先駆けて町並み保存運動を始めたところで、1973年に町並み保存条例が制定されています。

宿場の北の端にある鯉岩です。



鯉岩から引き返し、妻籠の集落へと入りました。
ここも、中山道の両側に古い建物が軒を連ねています。




宿場の中ほどに、脇本陣が残っています。



現存する妻籠宿の脇本陣は、明治に入ってから建てられたものです。
江戸時代には禁制だった檜を用いた屋敷です。
桟の隙間から入り込む光が幾もの筋となっている様子がとても印象的でした。

南木曾町博物館のサイトで、その様子がご覧いただけます:
http://nagiso-museum.jp/img/02.jpg


ここで、妻籠の歴史などを学んだ後、再び妻籠宿を散策しました。
民家の軒先も、綺麗に花が飾られていました。



この先、妻籠宿の中ほどに桝形がありました。



この桝形の南側は特に昔の風情が残っています。



この地区は寺下地区というそうですが、この地区の住民が全国に先駆けた町並み保存運動をはじめ、それが今に繋がっています。
日本各地の歴史的な風情ある町並みを散策する事が、この上もない楽しみなのですが、妻籠のこの地区の人達が、こうした運動を始めなければ、高度成長の御旗の元、破壊されてしまった町並みも多く会ったのではないかと思うと、感慨深いものがありました。
 

 

ホームページの馬籠のページはこちらです:
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/Travel/Japan/Chubu0/Kisoji/Magome.html

ホームページの妻籠のページはこちらです:
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/Travel/Japan/Chubu0/Kisoji/Tsumago.html

昨日の散策の様子を加え、後日にこれらの散策記を修正しようと思います。

 

http://shanehsmt.html.xdomain.jp/index.html



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