今日は、本編のホームページ津和野の散策記をアップしました。

本編のホームページは こちら です:
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2回目の今回は、津和野出身で、幕末から明治にかけて活躍した森鴎外と西周(にしあまね)の生家の様子を紹介します。

 第一回目の記事は こちら です:
 https://ameblo.jp/shanehashi/entry-12642853186.html


津和野の中心部に近い殿町の南端は、高津川に面しています。
高津川を渡ると、郊外の景色となりました。
殿町から15分程歩くと、森鴎外(1862-1922)の生家跡がありました。

森鴎外は、明治に活躍した文豪で、津和野藩の典医の嫡男として生まれています。


撮影: 2011年7月

幼い頃から勉学に優れ、9歳で藩校の養老館で四書五経を読んだそうです。
鴎外は、この家で10歳まで過ごし、その後父と共に上京しています。


撮影: 2011年7月

この建物は1854年(嘉永6年)の大火の後に建てられ、一旦、移築されましたが、1954年(昭和29年)に津和野町に寄付され、現在地に戻されています。


森鴎外の生家から、西に向かい高津川を渡ります。
傾きかけた陽が、津和野城址に掛かりそうです。


撮影: 2011年7月


森鴎外の生家跡から高津川の対岸に、西周 (1829-1897) の生家がありました。


撮影: 2011年7月

西周は、幕末から明治にかけての啓蒙家です。
西の家も津和野藩の御典医の家柄で、森鴎外は従甥にあたるそうです。


再び高津川を渡り、高津川の右岸を殿町通りに向かって歩きました。
高津川に沿って下っていくと、高津川の反対側の山の斜面に連なる鳥居が見えてきました。
太皷谷稲成神社の鳥居です。


撮影: 2011年7月

この日は沢山散策した後で疲れもあったので、行くのを諦めてしまいました。
後で調べてみると、日本五大稲荷神社の一つとの事で、訪れておけば良かったと後悔しました。



本編のホームページでは、津和野の散策記を詳しく紹介しています。
今日、紹介したホームページの津和野の散策記はこちらです:
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/Travel/Japan/Chugoku/Tsuwano.html#Ogai_Amane

 

 

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