今日は、本編のホームページ石見銀山の散策記をアップしました。

本編のホームページは こちら です:
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五百羅漢を過ぎると、銀山エリアとなります。
この地域は江戸時代から銀が採掘された、間歩と呼ばれる鉱山が残り、石見銀山のメインの観光地域です。
銀山エリアには見どころも多いので、3回目の今回は、銀山エリアの中ほどにある清水谷精錬所跡までの様子を紹介します。


五百羅漢を過ぎると町並みが途切れ、山間の長閑な景色になりました。
道の脇に民家が点在していますが、その一つが石見銀山代官所の地役人の遺宅でした。
屋敷の入り口には式台が設けられていました。


撮影: 2011年7月


渡辺家住宅からは、代官所跡から歩いてきた道を離れ、谷の東側の山の脇の小路を歩きました。
途中に妙正寺の小さなお堂があり、その先の階段を上った所に、石見銀山の初代の奉行だった大久保長安のお墓があります。


撮影: 2011年7月


徳川家康から、石見銀山だけでなく、日本中の鉱山の管理を任され、権勢を誇った長安ですが、死後になって、生前の収賄事件が明らかになり、墓が暴かれ遺体が晒されたとされています。
それはこのお墓だったのでしょうか。


大久保長安の墓所から銀山川の谷に下ると、そこには下川原吹屋跡がありました。


撮影: 2011年7月


銀の精錬は、掘り出した鉱石を砕き、銀の含有量の高い石を精錬するのですが、銀の精錬には16世紀初めに日本に来た、宗丹と桂樹という二人の中国人の功績が大きいそうです。
彼らがもたらした灰吹法という製法により、銀の生産量が飛躍的に増加したそうです。


しばらく銀山川に沿う道を南に向かうと清水谷精錬所跡への入り口がありました。
清水谷精錬所跡への道は、山奥に入って行くような周囲には何もない所を行きます。
心細くなりそうな道ですが、前方に家族連れの方が歩いていてホッとします。


撮影: 2011年7月


しばらく歩くと何段もの石垣が見えて来ました。
ここが清水谷精錬所跡です。


撮影: 2011年7月


山腹の石垣には所々、洞窟の様な窪みが設けられています。
それがどのような役割を果たしていたかは分かりませんが、この遺構には圧倒されました。


撮影: 2011年7月


この奥には、鉱石が運ばれた蔵之丞坑跡もありました。


撮影: 2011年7月

手掘りと思われる坑道の壁にはノミの跡も残っているようでした。


本編のホームページでは、石見銀山の散策記を詳しく紹介しています。
今日、紹介したホームページの石見銀山の散策記はこちらです:
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/Travel/Japan/Chugoku/IwamiGinzan.html#Ginzan
 

 

 

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