今日は、本編のホームページ名古屋・熱田湊の散策記をアップしました。

本編のホームページは こちら です:
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熱田湊は、熱田神宮から南に500m程った所にあります。

今は、埋め立てられて、周囲やその南にも住宅地や工場地帯が広がっていますが、江戸時代は海岸になっていて、当時の東海道はここから桑名まで、渡し船で往来していました。


当時の波止場は小公園として整備されています。


撮影: 2008年7月


今の熱田湊は、堀川と新堀川という二つの運河が東西から合流し、南の名古屋港に流れるというT字状の合流地点にあります。


下の写真は熱田湊の東側、新堀川に架かる内田橋からの眺めです。


撮影: 2008年7月

熱田湊の跡には当時の常夜灯が残されていました。
1625年(寛永2年)に犬山城主・成瀬正房が建立したものだそうです。


撮影: 2011年7月

この常夜灯からは堀川が南に真っすぐに伸びています。
常夜灯の右手が七里の渡しの波止場跡の様です。
堀川の先には、東海道新幹線の鉄橋も見えています。


撮影: 2011年6月

常夜灯の近くには鐘楼もありました。


撮影: 2011年7月


熱田湊には宮宿もありました。
宮宿は本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠248軒もあった東海道最大の宿場で、七里の渡しの船待ち客だけでなく、美濃街道や佐屋街道との分岐点だった為、多くの旅人が集まっていた事でしょう。

熱田湊の公園から道を隔てた反対側に、当時の脇本陣が残っています。


撮影: 2011年7月

この近くには、今川氏に人質になる筈だった6歳の家康が、駿府に向かう途中で渥美半島の戸田氏に攫われ、その後、信長の父・織田信秀に引き渡され、2年間幽閉された屋敷跡があります。

この時には立ち寄らなかったので、いつか訪れてみたいです。


本編のホームページでは、名古屋・熱田湊の散策記を詳しく載せています。
今日、紹介したホームページの名古屋・熱田湊の散策記はこちらです:
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