昨日の海の日、久しぶりに散策に出掛けました。
週末に雨になったり、最近色んな用事で、散策に行けていなかったので、一ヶ月以上ぶりでした。

例によって、最寄りのおおさか東線の駅から出掛けます。



久宝寺で王寺行の普通電車に乗り換え、柏原から近鉄道明寺線に乗り換えました。
この道明寺線は運転本数の少ない路線ですが、8:27発に都合よく乗り換えられました。



大和川を渡ると、住宅地の向こうにこんもりとした杜が見えてきました。



これらの杜が今日訪れる古市古墳群の古墳です。
柏原から2駅乗って、終点の道明寺で下車しました。



ここが今日の散策の出発地点です。
駅前にある大坂夏の陣道明寺合戦記念碑の写真を撮る事に気を取られ、駅舎の写真を撮るのを忘れてしまいました。



大坂夏の陣・道明寺の戦いは1615年(慶長20年)5月5日に起きた戦いです。
河内国分に徳川隊が集結するとの知らせを受けた後藤又兵衛、真田幸村、毛利勝永らの豊臣方武将は、翌日未明に道明寺に集まる筈だったでしたが、濃霧の為、真田幸村らの到着が遅れ、後藤又兵衛隊2800のみが、道明寺東を流れる石川を超え、小松山に登り、河内国分に集結した徳川軍に攻撃を仕掛けました。後藤又兵衛軍は徳川軍に滅ぼされ、その後道明寺まで進軍した徳川軍に、その後到着した豊臣方の各部隊は、個別に攻撃を受けて壊滅し、天王寺まで退きました。
翌5月7日に、大坂城は陥落し、豊臣秀頼、淀殿を初め、豊臣方の多くは命を落としました。


この戦いの際、道明寺周辺にある古墳は、豊臣方の軍勢の陣地として利用されたようです。

まずは道明寺駅前の狭い通りを西に向かいました。
この先に道明寺天満宮があります。



菅原道真所縁の神社ですが、その昔は土師神社と言ったそうで、古墳建築に携わった土師氏ゆかりの神社だったようです。
高台にある神社の周辺の斜面からは埴輪を焼いた登り窯の跡が幾つも発見されたそうです。

立派な道明寺天満宮の神門です。



その奥の境内は広々としていました。



道明寺天満宮の拝殿です。



本殿は安土桃山時代、幣殿と拝殿は1745年(延享2年)に建てられたそうです。
檜皮葺の屋根は修復工事中でした。

境内にあった土師社です。



947年(天暦元年)に天満宮が創建されるまでは、この土師社が本社でした。

道明寺天満宮を出て、西に少しばかり行くと、道明寺がありまます。



道明寺天満宮と道明寺と二つがあって判り難いのですが、江戸時代までは神仏習合でしたので、道明寺という名前の下でお寺の役割も天満宮や土師社といった神社の昨日も併せ持っていました。それが明治に入り、神仏分離令が出された為、道明寺のお寺の部分をこの地に創建した、という事の様です。


その為、築地塀や山門など、まだ新しく建てられた感じが残りますが、本堂に納められたご本尊の十一面観世音菩薩は国宝に指定されています。


 

境内には、子供さんと一緒に虫取りしている親子がましたが、他には参拝客もおらず、落ち着いた佇まいでした。

道明寺のすぐ東い側の道を北に進みました。



趣あるこの道は東高野街道のようです。
今の京都府八幡市から生駒山地の西側を南北に貫き、河内長野で西高野街道と合流し、葛城山地を超え、紀ノ川を超えて高野山に至る道です。 既存の集落を経ずに直線的なルートで結ばれていて、古代道の一つと考えられているようです。

緩やかな丘陵地を超え、近鉄南大阪線の線路を超えると交通量の多い道に出ますが、その道沿いのコンビニの裏側に行くと、古墳が見えてきました。



宮内庁によって允恭天皇陵と比定されている古墳で、全長230mの大きな前方後円墳です。
上の写真では開けた場所にあるように見えますが、周囲はぐるりと住宅地に囲われています。



フェンス越しに眺める濠と濠沿いに密集する住宅地です。
允恭天皇陵の南側は濠沿いに道がありますが、道は古墳の周囲を巡っておらず、一旦古墳を離れ、街中の道を進み、北側にある前方部の端を目指しました。 入ってはいけない様な、駐車場のような空き地の先に、宅地と濠の間の狭い通路が見え、そこを通る事にしました。


 

その狭い通路から眺める允恭天皇陵です。
狭い通路を抜けると、掃き清められた白砂の向こうに玉垣があり、その奥に鳥居が立っていました。
允恭天皇陵の遥拝所です。


 

鳥居の向こうの杜が允恭天皇陵の前方部の丘になります。
この景色に満足し、次の古墳を目指しました。

允恭天皇陵の半周分を戻り、すぐ近くの土師ノ里駅を目指します。


土師ノ里駅の駅舎の向かいに、芝生で覆われた、こんもりとした塚がありました。



この塚は鍋塚古墳で、南西にある仲姫命陵古墳の倍塚という事です。
鍋塚古墳は立ち入る事が出来、上まで上ってみました。



住宅地の向こうに仲姫命陵古墳の杜が広がっていました。

ここから仲姫命陵古墳を目指すのですが、周囲は住宅に囲われていて、どの道を通ったらいいか、よく判りません。
少し迷いながらなんとか濠の脇まで出る事が出来ました。



ここは狭いながらも濠と住宅の間に道が続いているようです。
フェンスが続き、視界も遮られますが、なんとか古墳の様子を眺めながら歩く事が出来ました。




仲姫命陵古墳も前方後円墳です。
全長は290mもあり、先ほどの允恭天皇陵よりも大きな古墳です。

南西に進み、仲姫命陵古墳の前方墳の南角にやってきました。



この角度からの眺めがなかなか気に入っています。

ところで、この古墳に葬られていると宮内庁が比定している仲姫命は応神天皇の皇后です。
が、日本書紀によると仲姫命は応神天皇よりも長生きしていますが、この仲姫命陵古墳は応神天皇陵よりも古く、一致していません。
このような謎があるがゆえに、古墳に魅入られてしまうのでしょうか。

住宅地を抜け、仲姫命陵の遥拝所に辿り着きました。




つづく

この日の散策の様子は、後日にで紹介する予定です。


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