6月9日の日曜日、交野と枚方に散策に出掛けてきました。
交野の史跡を訪れた後、枚方に移動し、百済寺跡を訪れた後に、旧東海道の枚方宿を歩いています。
本陣を見下ろす万年寺山の御茶屋御殿から、宿場と反対側の坂道を下ると、狭い通りの両側に古い屋敷が建ち並ぶ一角に出ました。
本陣を見下ろす万年寺山の御茶屋御殿から、宿場と反対側の坂道を下ると、狭い通りの両側に古い屋敷が建ち並ぶ一角に出ました。
この辺りは、枚方寺内町だったところです。
その中心だった願生坊です。
当時は順興寺というお寺を中心に栄えていたそうですが、本願寺が東西に分かれた事から、東本願寺系として願生坊、西本願寺系として浄念寺が復興されたそうです。
その中心だった願生坊です。
当時は順興寺というお寺を中心に栄えていたそうですが、本願寺が東西に分かれた事から、東本願寺系として願生坊、西本願寺系として浄念寺が復興されたそうです。
ここから旧東海道に戻り、一旦本陣跡に向かいました。
本陣跡は小公園になっていて、その一角に碑も立っていましたが、出店で買ったお昼を食べている人も多く、写真を撮ることが出来ませんでした。。
本陣跡は小公園になっていて、その一角に碑も立っていましたが、出店で買ったお昼を食べている人も多く、写真を撮ることが出来ませんでした。。
本陣跡から淀川が近いので、交通量の多い通りを渡り、川原に向かいました。
広い川原の向こうに淀川が流れています。
江戸時代には多くの川船が行き交った淀川。大坂と伏見にお城を構えていた秀吉も何度もここを通った筈です。
江戸時代には多くの川船が行き交った淀川。大坂と伏見にお城を構えていた秀吉も何度もここを通った筈です。
淀川の水量は豊かで、堂々した流れでした。
川を渡る風にあたってリフレッシュして、再び旧東海道を西に歩きました。
旧本陣を過ぎ、しばらく行くと鍵曲となり、その曲ったところに浄念寺がありました。
旧東海道の宿場町自体が寺内町になっていたのでしょうか。
この後、西見附までもうちょっとでしたが、疲れが出て、西見附までは行かずに、枚方公園駅に向かってしまいました。
この後、西見附までもうちょっとでしたが、疲れが出て、西見附までは行かずに、枚方公園駅に向かってしまいました。
ここから、この日最後の目的地に向かいます。
乗車したのは、京都方面の出町柳行き準急です。
乗車したのは、京都方面の出町柳行き準急です。
発車するとすぐに高架となり、枚方市駅に着きます。
下車したのは、枚方市の次の御殿山駅です。
この御殿山駅の近くに、江戸時代河内藩の渚陣屋がありました。
駅前の道を東に向かうと坂道になりますが、上り始めてすぐの角を左手に折れます。
駅前の道を東に向かうと坂道になりますが、上り始めてすぐの角を左手に折れます。
急なこの坂の上に、御殿山神社があり、その神社の本殿の奥に陣屋があったようです。
神社の高台からは周囲の様子がよく見渡せました。
こうして、この日の予定をすべて終え、家路に就いたのですが、帰り道は御殿山から準急から、守口市で普通電車に乗り換え、野江で下車しました。
この野江は、3月に開通した、おおさか東線のJR野江との乗換駅になっています。
この電車に乗って、この日の散策が終わりました。
この日訪れたのは、有名な史跡では無かったのですが、思いがけない発見もあり、また思っていた以上に古い集落なども残っていて、楽しい散策になりました。