このところ、天候不順とイベントがあったりして、散策に出掛けられていませんでしたが、天気の回復した今日の午後、久しぶりの散策に行ってきました。約一か月ぶりに出かけた先は、大阪市南部の平野です。
平野は戦国時代に寺内町があったところです。近くに重要文化財の建物も点在している事が分かり、今日出掛ける事にしました。
平野は戦国時代に寺内町があったところです。近くに重要文化財の建物も点在している事が分かり、今日出掛ける事にしました。
最寄り駅をお昼過ぎの電車に乗り、下車したのはおおさか東線の新加美駅。
始めて乗降する駅です。
始めて乗降する駅です。
すぐ近くに関西本線の加美駅があり、その手前の踏切を渡って南に向かうと、奥田家住宅があります。
江戸時代から残る庄屋で、国の重要文化財に指定されていますが、生憎一般公開はされていないようで、長屋門は固く閉ざされていました。門の前には高札場もあり、江戸時代には集落の中心になっていたようです。
ここから住宅地の中を西に向かいました。
途中、生野川を渡ります。そのすぐ先に平野公園があり、その西北角に平野の寺内町の東の入り口にあたる平野郷樋尻口門跡がありました。
平野公園の中に、低湿地があり赤い橋が架かっています。
途中、生野川を渡ります。そのすぐ先に平野公園があり、その西北角に平野の寺内町の東の入り口にあたる平野郷樋尻口門跡がありました。
平野公園の中に、低湿地があり赤い橋が架かっています。
この低湿地が当時の環濠の跡のようです。
この平野公園に隣接して地蔵堂がありました。
この平野公園に隣接して地蔵堂がありました。
大坂夏の陣の際に、徳川家康がこの地蔵堂に立ち寄ると察知した真田幸村が爆弾を仕掛けましたが、家康が立ち去った後に爆弾が爆発し、目的は果たせなかったという逸話が残っているそうです。
この地蔵堂の案内板に平野の寺内町の地図が掲げられていました。
南北が逆になっていたので、回転させています。
丸印で囲ったところが地蔵堂の場所です。
丸印で囲ったところが地蔵堂の場所です。
ここから前の道を真っすぐ西に進むと、寺内町の中心、全興寺があります。
次はそこに向かいました。
全興寺への道は途中からアーケード街になりました。
次はそこに向かいました。
全興寺への道は途中からアーケード街になりました。
どことなく懐かしい雰囲気が漂います。
庶民的なアーケード街の中に全興寺がありました。
庶民的なアーケード街の中に全興寺がありました。
寺内町の中心のお寺なので浄土真宗のお寺かと思っていましたが、日蓮宗のお寺でした。
小学生の一団がお寺を訪れていて、賑わっていました。
小学生の一団がお寺を訪れていて、賑わっていました。
お寺を辞し、アーケード街に戻ると、男の人がお寺に向かって熱心にお礼を繰り返していました。
次の目的地は、全興寺からほぼ北に向かった古河藩摂津陣屋跡です。
狭い道路が碁盤の目状になっている旧寺内町の集落を歩き、国道25号線沿いにある平野小を目指します。
狭い道路が碁盤の目状になっている旧寺内町の集落を歩き、国道25号線沿いにある平野小を目指します。
ここには天明年間(1781 - 1789)に陣屋が置かれ、明治まで続いたそうです。
今は小学校となり、校門前に碑があるのみです。
今は小学校となり、校門前に碑があるのみです。
この陣屋前を通る国道25号線。丁度この辺りが平野の寺内町の北の端に位置していたようです。
陣屋跡の東に、杭全神社の入り口がありました。
杭全神社は862年(貞観4年)に創建された歴史ある神社です。
杭全神社は862年(貞観4年)に創建された歴史ある神社です。
杭全神社の拝殿です。
この拝殿の裏に国の重要文化財に指定されている本殿がありました。
本殿は第一から第三まで3つあり、いずれも重要文化財に指定されています。
杭全神社を訪れた後は、関西本線を渡った北側にある旭神社に向かいました。
ここは応仁の乱の際に、畠山政長が拠点とした正覚寺城の跡です。
ここは応仁の乱の際に、畠山政長が拠点とした正覚寺城の跡です。
旭神社に向かう途中、平野駅の東側の踏切を渡りました。
この踏切は、JR貨物の百済貨物駅からおおさか東線へと向かう線路が関西線から分岐し、高架になるところが丁度見える絶好の位置でした。
踏切から5分程のところに旭神社がありました。
境内を見て回ったのですが、城址碑を探せないままでした。どうも見落としてしまったようです・・・
境内にも当時の城跡の痕跡は見当たりませんでした。
境内にも当時の城跡の痕跡は見当たりませんでした。
この旭神社の東側には畠山政長のお墓があります。
密集した住宅地を歩いて行くと、行き止まりの道に先にそのお墓がありました。
密集した住宅地を歩いて行くと、行き止まりの道に先にそのお墓がありました。
畠山政長は最期は従兄の畠山義就との家督争いに敗れ自害してしまいます。そのお墓は小さく、思いもよらず質素なものでした。
今日の散策は、ここで終了です。
畠山政長のお墓からほど近い、おおさか東線の衣摺加美北駅に向かいました。
畠山政長のお墓からほど近い、おおさか東線の衣摺加美北駅に向かいました。
衣摺加美北は今年3月に開業した新しい駅です。