昨日あたりから、爽やかな天気になってきました。まだ日中の気温は高いですが、涼しい風が吹く様子はまるで秋の訪れを感じます。
そんな爽やかな天気と週末が重なった今日、奈良の柳生の里に行ってきました。
出掛けたのは、最寄り駅を 8:02 の電車でした。いつもの散策よりも遅い時間の旅立ちですが、これには少し訳があります。終点の久宝寺で 8:21 発の、関西本線(大和路線)の快速電車に乗り換えました。
ほぼ座席が埋まるほどの乗車率で奈良に向かいました。
奈良で下車し、柳生へはバスで向かいました。
奈良で下車し、柳生へはバスで向かいました。
柳生は、奈良の北東に位置する集落です。新陰流の使い手で知られる柳生宗厳とその一族の領地だったところで、長年、行きたいと思っていたところです。
柳生の地は、鉄道の駅では笠置駅が最寄りですが、2㎞以上距離があり、しかも峠を一つ越えないといけません。笠置駅からのバスの便もないようで、どうしたものか、と思っているうちに、時が経ってしまいましたが、先日ふと奈良県の国宝のお寺を調べているうちに、奈良と柳生の間の円成寺に国宝がある事、奈良駅と柳生を結ぶバスがあり、このバスが円成寺の前を通る事が分かり、さっそく行くことにしたのです。
柳生の地は、鉄道の駅では笠置駅が最寄りですが、2㎞以上距離があり、しかも峠を一つ越えないといけません。笠置駅からのバスの便もないようで、どうしたものか、と思っているうちに、時が経ってしまいましたが、先日ふと奈良県の国宝のお寺を調べているうちに、奈良と柳生の間の円成寺に国宝がある事、奈良駅と柳生を結ぶバスがあり、このバスが円成寺の前を通る事が分かり、さっそく行くことにしたのです。
ところが、奈良と柳生を結ぶバス路線はあるものの、本数が極端に少なく、休日は奈良駅発 9:11 が始発なのです。それが唯一の午前中のバスなので、適当な時間に走ってくれる事を有り難く思わなければならないのかも知れません。
乗る人も少ないかと思っていましたが、数人のグループ客が列を作りました。やはり本数が少ない為に、乗車する人が集中するようです。その後、50人程のボーイスカウトの団体がバス停にやってきました。定刻にやってきた石打行のバスです。
このバスが柳生を通ります。全員乗れるか、と思っていましたが、もう一台のバスも準備され、ボーイスカウトの一団はそちらにも分乗するようです。
JR奈良駅西口を発車し、近鉄奈良駅で更に乗り込むと、立客も出る程の混雑となりました。
その後、奈良公園を北に走っていきました。
その後、奈良公園を北に走っていきました。
奈良の市街を抜け、国道369号線を走り、山間へと入っていきます。地図で見ると昨年9月に訪れた浄瑠璃寺の南1km程の所を走っているようです。
この後、大きな溜池が見えてきました。
この溜池の近くに、国宝のお寺・円成寺があります。JR奈良駅発 9:11 の次は、12:45 と3時間半もバスが無いので、この円成寺は帰りに立ち寄る予定です。
やがて山間を抜け、のどかな田園風景が広がりました。
しばらく走ると、国道から右に折れ、大柳生の集落を走りました。ここは古い建物も建ち、なかなか趣がありそうでした。
上の写真は、帰りのバスで撮ったものです。
JR奈良駅から乗車したボーイスカウトの一団は、この先の奈良市青少年野外活動センターの最寄りのバス停で下車していきました。
JR奈良駅から乗車したボーイスカウトの一団は、この先の奈良市青少年野外活動センターの最寄りのバス停で下車していきました。
ここからは、車内は一気に空いてしまいますが、柳生の集落ももう間近で、10時頃に柳生のバス停に着きました。
ここで残っていた乗客全員、といっても僕ともう一人の方ですが、が降りてしまいました。これが普段の柳生方面のバスの実態なのでしょう・・・
柳生の集落に降り立ち、さっそく近くの柳生藩家老屋敷に向かいました。
ここは柳生一族とは直接の関係はありませんが、江戸時代末の柳生藩家老・小山田主鈴の屋敷跡です。昭和に入りこの屋敷は、柳生一族を取り上げた大河ドラマ「春の坂道」の作者・山岡荘八氏が所有するところとなり、山岡荘八氏が亡くなった後に奈良市に寄贈され、一般公開されています。
屋敷の間にある長屋門です。
長屋門の先に母家があり、色々な資料が展示されていました。屋敷の内部の様子です。
記憶が確かではありませんが、NHKの大河ドラマ「武蔵MUSASHI」で宮本武蔵が柳生の地に滞在したシーンで、この屋敷が舞台として使われたような記憶があります。
この家老屋敷をゆっくり訪ねた後、陣屋跡に向かいました。
家老屋敷の前の小路を歩いて行きます。
家老屋敷の前の小路を歩いて行きます。
この道は柳生街道と案内表示に書かれています。
昔から奈良と柳生を結ぶ街道だったのでしょうか。
昔から奈良と柳生を結ぶ街道だったのでしょうか。
陣屋跡との間には、小さな峠がありましたが、そこに摩利支天の碑がありました。
摩利支天は武道の守り神だそうです。この碑は新しく造られたもので、2007年に建てられたようです。
~ つづく ~