岡崎平野の中央部を
ゆったりと流れる矢作川。
ゆったりと流れる矢作川。
「矢作」の名の付く集落が岡崎市の中心部から
矢作川を渡った西側にあります。
矢作川を渡った西側にあります。
矢作は東海道の宿場ではありませんでしたが
江戸時代になる迄は矢作橋は架けられておらず
渡しを待つ往来の人々が泊まる宿があったようです。
江戸時代になる迄は矢作橋は架けられておらず
渡しを待つ往来の人々が泊まる宿があったようです。
矢作橋の袂にある矢作神社の
様子は以前記事にしています。
こちら です:
http://www.geocities.jp/shanehp_tabi1/Travel/Japan/WagamachiOkazaki/Yahagi.html
様子は以前記事にしています。
こちら です:
http://www.geocities.jp/shanehp_tabi1/Travel/Japan/WagamachiOkazaki/Yahagi.html
矢作神社から旧東海道を西に向かうと
すぐに勝蓮寺というお寺がありました。
すぐに勝蓮寺というお寺がありました。
このお寺は、徳川家康の長男で
織田信長に自害させられた岡崎信康の
所縁が深く、信康の画像が残されているそうです。
織田信長に自害させられた岡崎信康の
所縁が深く、信康の画像が残されているそうです。
勝蓮寺からしばらく西に行くと誓願寺がありました。
この写真は、誓願寺の十王堂です。
この写真は、誓願寺の十王堂です。
この誓願寺は浄瑠璃姫の菩提寺で
この十王堂には浄瑠璃姫の木彫り像が
祀られているそうです。
この十王堂には浄瑠璃姫の木彫り像が
祀られているそうです。
1174年(承安4年)に、平泉へ向かう義経一行が
矢作の宿に泊まった際、義経と浄瑠璃姫は知り合い、
深い仲になります。
矢作の宿に泊まった際、義経と浄瑠璃姫は知り合い、
深い仲になります。
しかし、義経は平泉へ旅たってしまった為、
残された浄瑠璃姫は別れを悲しみ、
1183年(寿永2年)に乙川の流れに
身を投じたそうです。
残された浄瑠璃姫は別れを悲しみ、
1183年(寿永2年)に乙川の流れに
身を投じたそうです。
浄瑠璃姫が身を投げた浄瑠璃ヶ淵の様子は、こちら です:
http://www.geocities.jp/shanehp_tabi1/Travel/Japan/WagamachiOkazaki/Jyoruri.html
http://www.geocities.jp/shanehp_tabi1/Travel/Japan/WagamachiOkazaki/Jyoruri.html
今日紹介した「わが街岡崎」矢作宿の
様子はHPのこちらに詳しく紹介しています:
http://www.geocities.jp/shanehp_tabi1/Travel/Japan/WagamachiOkazaki/YahagiShuku.html
様子はHPのこちらに詳しく紹介しています:
http://www.geocities.jp/shanehp_tabi1/Travel/Japan/WagamachiOkazaki/YahagiShuku.html