今日は、本編のホームページに
八剣神社の散策記をアップしました:
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/index.html


岡崎は、戦国時代の半ば以降は松平氏が本拠にし、
徳川家康の生まれたところで、知られています。

しかし、鎌倉時代や室町時代には岡崎を含む
西三河地方は源氏と所縁の深い土地だったようです。

頼朝の弟の源範頼や足利義氏が三河守護に任ぜられたり、
岡崎の 滝山寺 には源頼朝の顎鬚と歯が胎内仏として納められていたり、
足利尊氏の遺命で開山された 天恩寺 も岡崎の地にあります。

また「御所が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」
と足利幕府の後継とされた吉良氏も今川氏も
西三河南部の旧幡豆郡の出て、足利氏一門の
細川氏、仁木氏は岡崎市内が本拠地だったようです。


今日紹介する八剣神社は、矢作川の
堤防沿いにある小さな神社です。

イメージ 1


この神社には思いがけず
足利尊氏の供養塔がありました。

5段目の塔身と6段目の笠の部分が
当時のものとされています。

イメージ 2


塔身の碑文から、足利内蔵之尉が
建立したそうです。


この八剣神社の辺りは、昔から
矢作川の渡河地点であったようです。

イメージ 3


足利尊氏の軍勢が京に押し寄せる際、
矢作川が増水し渡れなくなっていたそうです。
そこで、この八剣神社にお祈りしたところ、
背後の杜から三党の白い鹿が現れ、
無事に渡る事が出来たという言い伝えがあります。

更に、この時から200年以上時が下った戦国時代、
桶狭間の戦いで今川義元が討たれた後、
大樹寺を目指して逃げる松平元康
(後の徳川家康)の前にも増水した矢作川が
立ち塞がった際も、同じように三頭の鹿が現れたそうです。

写真は八剣神社近くの矢作川堤防から
眺める 岩津城 方面の様子です。



今日紹介した八剣神社の様子は こちら です:
http://shanehashi.html.xdomain.jp/WagamachiOkazaki/Yatsurugi.html



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