岡崎は、戦国時代の半ば以降は松平氏が本拠にし、
徳川家康の生まれたところで、知られています。
徳川家康の生まれたところで、知られています。
しかし、鎌倉時代や室町時代には岡崎を含む
西三河地方は源氏と所縁の深い土地だったようです。
西三河地方は源氏と所縁の深い土地だったようです。
また「御所が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」
と足利幕府の後継とされた吉良氏も今川氏も
西三河南部の旧幡豆郡の出て、足利氏一門の
細川氏、仁木氏は岡崎市内が本拠地だったようです。
と足利幕府の後継とされた吉良氏も今川氏も
西三河南部の旧幡豆郡の出て、足利氏一門の
細川氏、仁木氏は岡崎市内が本拠地だったようです。
今日紹介する八剣神社は、矢作川の
堤防沿いにある小さな神社です。
堤防沿いにある小さな神社です。
この神社には思いがけず
足利尊氏の供養塔がありました。
足利尊氏の供養塔がありました。
5段目の塔身と6段目の笠の部分が
当時のものとされています。
当時のものとされています。
塔身の碑文から、足利内蔵之尉が
建立したそうです。
建立したそうです。
この八剣神社の辺りは、昔から
矢作川の渡河地点であったようです。
矢作川の渡河地点であったようです。
足利尊氏の軍勢が京に押し寄せる際、
矢作川が増水し渡れなくなっていたそうです。
そこで、この八剣神社にお祈りしたところ、
背後の杜から三党の白い鹿が現れ、
無事に渡る事が出来たという言い伝えがあります。
矢作川が増水し渡れなくなっていたそうです。
そこで、この八剣神社にお祈りしたところ、
背後の杜から三党の白い鹿が現れ、
無事に渡る事が出来たという言い伝えがあります。
更に、この時から200年以上時が下った戦国時代、
桶狭間の戦いで今川義元が討たれた後、
大樹寺を目指して逃げる松平元康
(後の徳川家康)の前にも増水した矢作川が
立ち塞がった際も、同じように三頭の鹿が現れたそうです。
桶狭間の戦いで今川義元が討たれた後、
大樹寺を目指して逃げる松平元康
(後の徳川家康)の前にも増水した矢作川が
立ち塞がった際も、同じように三頭の鹿が現れたそうです。