今日の日曜日、三河山間部の旧作手村にある
奥平氏ゆかりのお城をいくつか訪ねてきました(^^ゞ
 
いま、本編のホームページでは 中津城 の紹介をしていますが、
江戸時代中頃から中津藩主となった奥平氏は
三河山間部にある作手で勢力を伸ばし、
長篠城 の戦いで軍功を挙げて家勢を高めます。
 
その奥平氏の拠点になったお城やお寺を訪ねてきました。
 
作手迄、家から車で約1時間。
作手は、今では新城市と合併しています。
 
岡崎は青空が広がっていましたが、
作手に着いてみると雲がどんよりと垂れ込め、
寒く、小雪が舞ってきました。

まず、訪れたのは亀山城です。
 
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奥平氏は作手で勢力を伸ばした後
まず川尻城を築いたのですが、川尻城が
手薄になり、程なくこの亀山城を築いたそうです。
1433年(永享5年)の事だそうです。

亀山城は思っていた以上に規模が大きく、
また江戸時代初期には松平忠明が1万5千石で
入封した事もあり、近代城の雰囲気も漂わせていました。
 
思いがけずに立派な空堀がありました。
本丸の土塁も高く堅牢な構えです。
 
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熊笹が生い茂るなか、小雪が舞っていました。
熊笹の触れ合う音が気に入ってます。

亀山城の本丸からの眺めです。
 
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向かいの山には塞之神城、文殊山城があります。
正面の一番高い頂の横に文殊山城の櫓が見えていました。

亀山城の次に、すぐ近くの石橋城を訪れ
その後、甘泉寺に向かいました。
甘泉寺に向かう途中で眺めた古宮城です。
 
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古宮城の南側は、当時は湿地帯だったそうです。
もう一つ動画がありますので、こちらもどうぞ:

この場所が豊川と矢作川の分水点になっているそうです。
遠く、亀山城も見えていました。

ここから東に1km程行った山懐に甘泉寺がありました。
 
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奥平貞俊は上野国(今の群馬県)から三河の地に移った際、
この寺に住処を与えられ、その後に川尻城を築いています。
 
 
静かな境内の様子です。
国の天然記念物に指定されている高野槇も見事でした。
 
イメージ 6
 
この甘泉寺には、長篠城 の籠城戦の際、
磔にされた鳥居強右衛門のお墓がありました。
 
鳥居強右衛門の事は本編のホームページの
長篠城・設楽原古戦場のページをご参照ください:
  --- 設楽原古戦場の様子は こちら です

甘泉寺を訪れた後に、古宮城に向かいました。
その様子は、明日紹介します。
つづく
 
 
本編のホームページこちらです:
http://www.geocities.jp/shane_hsmt/index.html
 
 
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