能登半島へは、大学の時に、旧国鉄の能登線、
七尾線に乗った事があるのですが、それ以来です。
その時は観光はしておらず、有名な能登を観光するのは初めてでした。
七尾線に乗った事があるのですが、それ以来です。
その時は観光はしておらず、有名な能登を観光するのは初めてでした。
能登半島の鉄道は、北陸本線の接続駅、
津端から和倉温泉までのJRと、
和倉温泉から穴水までの能登鉄道がありますが
半島西側の海岸線に行くには、車しか交通手段がなく、
今回は珍しく金沢からレンタカーで能登に向かいました。
津端から和倉温泉までのJRと、
和倉温泉から穴水までの能登鉄道がありますが
半島西側の海岸線に行くには、車しか交通手段がなく、
今回は珍しく金沢からレンタカーで能登に向かいました。
今回の旅の目的は、輪島市門前の
黒島にある重要伝統的建造物保存地区と
輪島の先にある白米千枚田、そして能登半島の
綺麗な海岸線の観光スポットを巡るものでした。
黒島にある重要伝統的建造物保存地区と
輪島の先にある白米千枚田、そして能登半島の
綺麗な海岸線の観光スポットを巡るものでした。
朝8時に金沢駅でレンタカーを借りて
能登半島に向かい、まず向かったのは
能登半島の付け根、羽咋にある気多大社です。
能登半島に向かい、まず向かったのは
能登半島の付け根、羽咋にある気多大社です。
ここは能登一宮。
拝殿前の神門では巫女さんが参拝客を迎えていました。
拝殿前の神門では巫女さんが参拝客を迎えていました。
その後は海岸線を北上し、海岸線の
観光スポットを巡る予定にしていたのですが、
走り出してしばらくすると、遠くに古い塔が見えてきました。
観光スポットを巡る予定にしていたのですが、
走り出してしばらくすると、遠くに古い塔が見えてきました。
さすがに気になって向かうと、そこは妙成寺。
重要文化財が10もある大きな伽藍のお寺で
加賀藩第三代藩主・前田利常公の母・寿福院の
お墓もある由緒あるお寺でした。
加賀藩第三代藩主・前田利常公の母・寿福院の
お墓もある由緒あるお寺でした。
ここから先は、能登半島の綺麗な
海岸線に沿って車を走らせました。
海岸線に沿って車を走らせました。
これは巌門と鷹の巣岩。
機具(はたご)岩やヤセの断崖を過ぎ
鳴り浜で知られるという琴が浜にも
立ち寄りました。
鳴り浜で知られるという琴が浜にも
立ち寄りました。
この辺りに立ち寄ったのが既に2時近く。
未だ輪島まで30km近くも距離を残し、
とても能登半島の先端までは
辿り着けそうにありません。
未だ輪島まで30km近くも距離を残し、
とても能登半島の先端までは
辿り着けそうにありません。
この琴が浜からほど近いところに
黒島の集落がありました。
黒島の集落がありました。
黒島は、江戸時代から北前船の船主や
船員の集落として栄えたところで、
黒塗りの屋根に、下見板張りの家並みが続いています。
船員の集落として栄えたところで、
黒塗りの屋根に、下見板張りの家並みが続いています。
この黒島の廻船問屋だった角海家が
公開されていたので立ち寄ってみました。
公開されていたので立ち寄ってみました。
往時には北前船を7艘も持っていた
豪商だったようで屋敷も広く、
見所も多かったです。
豪商だったようで屋敷も広く、
見所も多かったです。
この黒島の散策を終えたのが3時半過ぎ。
この後は近くにある曹洞宗総本山の
総持寺祖院に向かいました。
総持寺祖院に向かいました。
ここは、現在神奈川県の鶴見にある
総持寺の元にあたる寺院です。
総持寺の元にあたる寺院です。
曹洞宗の大本山でしたが、1898年(明治31年)に
大火災を起こし、その後鶴見に移転してしまいましたが
元の場所で、お寺の再建が進められたそおうです。
大火災を起こし、その後鶴見に移転してしまいましたが
元の場所で、お寺の再建が進められたそおうです。
この総持寺の伽藍は見事でした。
今回の金沢・能登の散策のダイジェストは、
また後日に紹介しようと思っています。
また後日に紹介しようと思っています。