昨日、珍しく筑波へ出張の機会があったので、
一泊して、今日は真壁にサイクリングに行ってきました。
一泊して、今日は真壁にサイクリングに行ってきました。
ここは科学未来都市という雰囲気が街にも溢れています。
-- つくばエキスプレスの乗車記はこちらです:
http://www.geocities.jp/shane_hsmt/Train/Japan/Shitetsu/TsukubaEX.html筑波山口は、筑波鉄道の筑波駅だったところです。
筑波鉄道は土浦から岩瀬を結んで走っていた
全長40.1kmのローカル私鉄路線でしたが
1987年4月1日に廃止になっています。
全長40.1kmのローカル私鉄路線でしたが
1987年4月1日に廃止になっています。
この旧筑波駅は関東鉄道のバス営業所になっています。
また、筑波鉄道のほぼ全線がサイクリングロードになっています。
また、筑波鉄道のほぼ全線がサイクリングロードになっています。
今日向かった真壁は、この筑波鉄道が通っていたのですが
今では、バスも通わない陸の孤島になってしまっています。
今では、バスも通わない陸の孤島になってしまっています。
幸い、筑波山口の営業所で、4月1日から11月3日にかけて、
レンタサイクルの貸し出しをしているので、
自転車で行くことにしました。
レンタサイクルの貸し出しをしているので、
自転車で行くことにしました。
筑波山口を北に向かうと、
細いサイクリングロードが
真っ直ぐに伸びています。
細いサイクリングロードが
真っ直ぐに伸びています。
廃線跡がしっかり残っていて、
自転車を漕ぐのも楽しくなりました。
自転車を漕ぐのも楽しくなりました。
右手には、筑波山が見えています。
山頂にかかっていた雲が急に晴れ、
筑波山の全容が見えてきました。
http://www.geocities.jp/shanehashi/Travel/Japan/Kanto/Tsukuba.html
筑波山の全容が見えてきました。
-- 何年か前に筑波山に上りました。
その時の様子は、こちらです:http://www.geocities.jp/shanehashi/Travel/Japan/Kanto/Tsukuba.html
筑波山口から、真壁までは約10kmの道のりです。
のどかな田園風景を抜けて快調に走っていたのですが、
この途中でチェーンが外れてしまったのでしが・・・
この途中でチェーンが外れてしまったのでしが・・・
外れたチェーンがギア変速の歯車と
車軸の中心部分の間に挟まってなかなか取れず
苦労していると、すぐ近くの家の人が出てきてくれて
近くの自転車屋さんの電話番号を教えてくれました。
車軸の中心部分の間に挟まってなかなか取れず
苦労していると、すぐ近くの家の人が出てきてくれて
近くの自転車屋さんの電話番号を教えてくれました。
結局は、自分でチェーンを外して直す事が出来たのですが
その自転車屋さんに見てもらうと、どうもギア変速の装置が
曲がっていてギアチェンジすると、すぐ外れてしまう事が判明。
その自転車屋さんに見てもらうと、どうもギア変速の装置が
曲がっていてギアチェンジすると、すぐ外れてしまう事が判明。
ネジを調整してもらい、安心して乗れるようになりました。
このアクシデントで、予定より30分程遅れて真壁着。
真壁は、1172年に真壁長幹によってお城が築かれたところで
江戸時代には陣屋も置かれていました。
江戸時代には陣屋も置かれていました。
まず向かったのは国指定史跡の真壁城です。
この真壁城址は、本丸に体育館が建ってしまっていますが
本丸を取り囲む二の丸の一部や、その東側にある
中城や三の丸は復元整備がなされています。
本丸を取り囲む二の丸の一部や、その東側にある
中城や三の丸は復元整備がなされています。
筑波山を望み、土塁や堀が残る城址は
中世の遺跡の雰囲気を感じました。
中世の遺跡の雰囲気を感じました。
真壁城址を訪れた後に向かったのは
真壁の町中です。
真壁の町中です。
城下町として発達した真壁の町。
この地域を支配していた真壁氏は江戸時代に入ると、
佐竹氏の秋田移封に伴い角館に移り、
真壁城は廃城になってしまいますが、その後は
笠間藩の陣屋が町中に置かれていたそうです。
佐竹氏の秋田移封に伴い角館に移り、
真壁城は廃城になってしまいますが、その後は
笠間藩の陣屋が町中に置かれていたそうです。
その当時の町並みが今に残り、最近になって
重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
町中のあちこちに古い建物が残る真壁の町は
とても趣がありましたが、残念な事に
東日本大震災の影響で、痛んだ建物も多く
あちこちでブルーシートが掛けられていました・・・
とても趣がありましたが、残念な事に
東日本大震災の影響で、痛んだ建物も多く
あちこちでブルーシートが掛けられていました・・・
その他に神社の鳥居や灯篭などの多くが倒れ
半年後も修復に取り掛かられていない状況に
改めて被害の大きさを実感しました。
半年後も修復に取り掛かられていない状況に
改めて被害の大きさを実感しました。
真壁の後は、再び筑波鉄道の廃線跡を自転車で走り
今度は、筑波山口から7km程南の小田城に行く予定でしたが、
真壁の町の散策で疲れ果て、また予想以上の時間が
掛かってしまった事もあって、次の機会に譲る事にしました。
今度は、筑波山口から7km程南の小田城に行く予定でしたが、
真壁の町の散策で疲れ果て、また予想以上の時間が
掛かってしまった事もあって、次の機会に譲る事にしました。
今日紹介した、真壁城や真壁陣屋
そして筑波山口から真壁までの筑波鉄道廃線跡の様子は
後日、本編のホームページで紹介しようと思います。
そして筑波山口から真壁までの筑波鉄道廃線跡の様子は
後日、本編のホームページで紹介しようと思います。