朝から真夏の日差しが照りつける今日、
午前中に岡崎の街を散策してきました。
あまりの暑さに、自転車は諦め、
車で出掛けてしまいました(^^;


まず訪れたのは、美合の本宗寺です。

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先日、土呂の町の様子を紹介しましたが、
蓮如が1468年(応仁2年)に創建し、
戦国時代に土呂の集落の中心的な存在だった本宗寺は
三河一向一揆の後に美合に移されています。

土呂の記事はこちらです:
http://blogs.yahoo.co.jp/shanehashi/61927260.html

本宗寺は美合駅からほど近いところにありました。
築地塀で綺麗に囲まれた境内に、石川数正や
家康の叔母、妙西尼のお墓がありました。

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家康の懐刀と言われた石川数正ですが、
小牧長久手の戦いの後には
秀吉方に寝返っており、何故岡崎に
お墓があるのか不思議に思います。


本宗寺を辞した後、広忠寺に向かおうと思ったのですが、
その途中で、大久保彦左衛門菩提寺の案内を見かけ
長福寺に向かうことにしました。

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大久保彦左衛門は「三河物語」を著した事で知られていますが、
知行はわずが2000石の旗本です。

大久保氏は、松平氏の勢力がまだ西三河一帯にも及んでいなかった
松平清康(家康の祖父)の頃から仕えた古い家臣で、
一時は、大久保忠隣が老中にまで抜擢されますが、
大久保忠隣は本多正信・正純によって失脚させられてしまい、
一時期は、松平最古参と言われた大久保氏にあって
大久保彦左衛門(忠教)の知行が、唯一のものだったようです。


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長福寺近くの、真夏の景色です。


長福寺から歩いて4~5分の所に、
大久保氏一族のお墓がありました。

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この墓地のすぐ横に道路が通っていますが
この道は、何度も通った事があります。

長い間、岡崎に住んでいますが、
ここにこの墓地があるとは、まったく知りませんでした。

天下平定の為に、松平氏に尽くした大久保氏、
多くの人がその過程を支え、そして
今はひっそりと眠っていると思うと
感慨深いものがありました。



今日の散策の様子は後日に本編の
ホームページで紹介する予定です:
http://www.geocities.jp/shane_hsmt/index.html


ホームページの「わが街 岡崎」のページは、こちらです:
http://www.geocities.jp/shanehp_tabi1/Travel/Japan/WagamachiOkazaki.html



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