先週末の広島から岩国散策の続きです。
風光明媚な錦川鉄道に乗った後は、
岩国城を目指しました。
岩国城を目指しました。
岩国城の最寄駅は川西ですが、
登録有形文化財にも指定されている
西岩国の駅舎も見たいと思い、
もう一駅乗った西岩国で下車しました。
登録有形文化財にも指定されている
西岩国の駅舎も見たいと思い、
もう一駅乗った西岩国で下車しました。
西岩国駅前には岩国市のコミュニティバスが停まっていて
生憎、駅舎の全貌を見る事は出来ませんでした(^^ゞ
生憎、駅舎の全貌を見る事は出来ませんでした(^^ゞ
ここから30分程歩き、錦川の畔に出ました。
錦川に架かる錦帯橋です。
錦川に架かる錦帯橋です。
対岸の山の上に岩国城址に
造られた模擬天守閣が見えています。
造られた模擬天守閣が見えています。
錦帯橋は岩国城と城下町を結ぶ橋で、
初代藩主・吉川広家の頃から架けられていたそうですが
何度も流され、三代藩主・吉川広嘉の時に
今に残る五連アーチ橋が架けられたそうです。
初代藩主・吉川広家の頃から架けられていたそうですが
何度も流され、三代藩主・吉川広嘉の時に
今に残る五連アーチ橋が架けられたそうです。
岩国城は、錦川に望む山の上に要害の山城があり、
その麓に居館や政庁などが置かれていました。
その麓に居館や政庁などが置かれていました。
麓の居館や政庁の跡は
吉香公園として整備されています。
吉香公園に残る長屋門です。
吉香公園として整備されています。
吉香公園に残る長屋門です。
櫓を思わせる錦雲閣などもありました。
この吉香公園からロープウェーで山頂に登れます。
この吉香公園からロープウェーで山頂に登れます。
ロープウェーに乗って僅か3分で山頂に着き
山城の散策です。
山城の散策です。
岩国城は築城して僅か7年後に
一国一城令が出され、山頂の山城部は
廃城となってしまったのですが、
その跡は比較的よく残っています。
一国一城令が出され、山頂の山城部は
廃城となってしまったのですが、
その跡は比較的よく残っています。
その山頂にある模擬天守閣。
とある大学の先生の設計だそうですが、
元の天守台とは違う場所に建てられているし
外観も史実には基づいていないようです。
元の天守台とは違う場所に建てられているし
外観も史実には基づいていないようです。
これでは単なる展望台にしか過ぎません。
麓から良く見えるようにと場所を選らんで
建てられただけの事はあり、さすがに
麓を流れる錦川や錦帯橋はよく見えました。
建てられただけの事はあり、さすがに
麓を流れる錦川や錦帯橋はよく見えました。
山頂の山城部の遺構を散策するうちに
時間が無くなり、ロープウェーの駅へと急ぎました。
時間が無くなり、ロープウェーの駅へと急ぎました。
西岩国駅に着いてから3時間あれば
新幹線の新岩国へ行けるだろうと踏んでいたのですが、
新岩国へ向かうバスの時間が迫ってきています。
新幹線の新岩国へ行けるだろうと踏んでいたのですが、
新岩国へ向かうバスの時間が迫ってきています。
麓に下り、吉川氏墓所に向かいました。
ここは、是非行こうと決めていた所です。
ここは、是非行こうと決めていた所です。
初代・吉川広家から6代の吉川経永を除く、
12代吉川経幹までの11名のお墓です。
12代吉川経幹までの11名のお墓です。
ここの墓所は立派でした。
錦帯橋は多くの観光客で溢れていましたが
ここを訪れる人はいないようです。
錦帯橋は多くの観光客で溢れていましたが
ここを訪れる人はいないようです。
山の中腹にある初代・吉川広家のお墓を訪れるうち、
乗る予定にしていたバスの発車時間は疾うに過ぎてしまいました。
乗る予定にしていたバスの発車時間は疾うに過ぎてしまいました。
で、ロプウェー駅にタクシーがいる事を当てにしていましたが
行ってみると姿がなく、それから急いで錦帯橋を渡り、
なんとか橋の袂でタクシーを拾い、新岩国駅に向かいました。
行ってみると姿がなく、それから急いで錦帯橋を渡り、
なんとか橋の袂でタクシーを拾い、新岩国駅に向かいました。
途中、道路が空いていたので、なんとか
予定の「こだま」に間に合いました。
予定の「こだま」に間に合いました。