昨日の日曜日、午後から雨の予報だったので
午前中に、岡崎から比較的近い、
愛知県刈谷市の陣屋巡りをしてきました。


目的地は刈谷駅の東側にあった重原陣屋ですが
陣屋の門が陣屋跡の南東500m程の
半城戸(はじょうど)に移築されているというので、
普通電車に乗り、刈谷の一駅手前の野田新町で
下車して陣屋巡りを始めました。

真新しい野田新町駅

イメージ 1


2007年3月に開業した新しい駅です。
毎日、野田新町駅のあるJR東海道本線を
通勤で利用しているのですが、
この日初めて駅に降り立ちました。


重原陣屋の移築門のある願行寺は
300m程西に行ったところです。

国道から一歩入ると、趣のある雰囲気となりました。

イメージ 2


この左手に、秋葉神社があったのですが、
ここは廃寺となった十応寺があったところで
ここには、重原陣屋の玄関が移築されていました。

狭い通りを少し行ったところに、
願行寺の陣屋移築門がありました。

イメージ 3


思いがけず堂々とした門でした。

この十応寺や願行寺のある集落を半城戸といいますが
古くからある集落の様で、長屋門と思しき門をもつ
広い敷地の家も所々に見かけます。

この集落の一画には半城戸古城という城址もあると知り、
その跡に建つ勝宝寺にも行ってきました。

半城戸城は台地の端に位置していたようで、
西側に猿渡川が流れています。

その猿渡川を隔てて反対側の台地の端に
重原陣屋はあったようです。

イメージ 4


猿渡川を渡るJR東海道本線の快速電車。
JR東海ご自慢の311系電車です。

重原陣屋はこの左手の段丘の上にありました。

イメージ 5


この辺りはもともと刈谷藩の領地でしたが、
藩の財政が窮迫し、重い負担に耐えられなくなった
農民らが1790年(寛政2年)に一揆を起こしたそうです。

その処罰として刈谷藩は、奥州福島藩と
領地替えされる事となり、その後、福島藩が
この地の支配の為に築いたのが重原陣屋だそうです。

この三河の地に遠い奥州の福島藩の
領地があったとは初めて知りました。


昨日は朝からどんよりと曇っていましたが
この重原陣屋跡を訪れ刈谷駅へと
歩き出したところで雨が激しく降りだしました。

刈谷駅の東側、JR東海道本線と名鉄三河線が
クロスする地点には、宮城道雄の供養塔があります。

イメージ 6


宮城道雄は「春の海」を作曲した筝曲家です。
1956年(昭和31年)、演奏旅行の為に
夜行急行「銀河」で関西に向かっていましたが、
ここで誤って列車から落ち命を落としてしまったそうです。

通勤の途中で、この供養塔は車窓から眺めていましたが
ここを訪れたのも昨日が初めての事でした。

線路脇の供養塔からは東海道本線や
名鉄三河線の電車が走る様子が
良く見えていました。

イメージ 7



この日訪れた重原陣屋や半城戸古城の様子は、
後日に本編のホームページで紹介する予定です:
http://www.geocities.jp/shane_hsmt/index.html




https://travel.blogmura.com/kokunai/img/kokunai88_31.gif
にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ    
↑ ランキングの参加しました! 下線部の所をクリック頂けると嬉しいです。
https://travel.blogmura.com/kokunai/