奥殿神社の金鳳亭脇に、山に向かう道が続いていて、
この道を辿ると奥殿松平氏の廟所に行くことが出来ます。
この道を辿ると奥殿松平氏の廟所に行くことが出来ます。
奥殿松平氏は大給松平氏の五代目・真乗の
次男・真次(さねつぐ)が家祖とされています。
奥殿藩は1863年(文久3年)、11代・松平乗謨の時に
信州・田野口に移るまでの150年間続きました。
次男・真次(さねつぐ)が家祖とされています。
奥殿藩は1863年(文久3年)、11代・松平乗謨の時に
信州・田野口に移るまでの150年間続きました。
真次の享年は1646年なので、江戸時代
初めから明治まで続いています。
初めから明治まで続いています。
廟所に向かう途中、木々の生い茂った
山の中腹に土塁がありました。
山の中腹に土塁がありました。
陣屋の東側から南側にかけて
敷地の境に築かれているそうです。
この先に奥平松平氏の廟所が
ひっそりと佇んでいました。
ひっそりと佇んでいました。
家祖・真次(さねつぐ)公から11代・乗謨(のりかた)公まで
続いた奥殿松平氏のうち、八代・乗尹(のりただ)公と
11代・乗謨公を除く9人がここに葬られています。
続いた奥殿松平氏のうち、八代・乗尹(のりただ)公と
11代・乗謨公を除く9人がここに葬られています。
他に訪れる人もなく、ひっそりとした廟所です。
5代目以降の当主のお墓は、この上に2~3の名毎に、
山の中腹に階段状に並んでいました。
山の中腹に階段状に並んでいました。
廟所には四代・乗真公夫人が若くして亡くなった
供養のために建立した坐像の地蔵仏もありました。
供養のために建立した坐像の地蔵仏もありました。
ちなみに奥殿松平氏の8代・乗尹公の次男が
幕末に活躍した永井尚志(なおゆき)公です。
幕末に活躍した永井尚志(なおゆき)公です。
永井尚志公は旗本の身分ながら若年寄に抜擢され、
時の将軍・徳川慶喜公を補佐し、後藤象二郎の
大政奉還建白を慶喜公に周施しています。
時の将軍・徳川慶喜公を補佐し、後藤象二郎の
大政奉還建白を慶喜公に周施しています。
討幕後も、箱館戦争に加わるなど最後まで、
徳川幕府への"義"を貫いた一人と思います。
徳川幕府への"義"を貫いた一人と思います。
今日紹介した奥殿松平氏廟所の様子はこちら です:
http://www.geocities.jp/shanehsmt_tabi4/Travel/Japan/Jinyameguri/OkutonoJinya.html#Byosho
http://www.geocities.jp/shanehsmt_tabi4/Travel/Japan/Jinyameguri/OkutonoJinya.html#Byosho