携帯から記事を投稿しましたが、
昨日から福井に行っていました。
昨日から福井に行っていました。
今日は、そのついでに東尋坊と大聖寺に行ってきました!
雪の降りしきる福井から、東尋坊に向かいました。
まずは、えちぜん鉄道で三国港までの旅です。
まずは、えちぜん鉄道で三国港までの旅です。
7:25発の列車は1両編成でした。
えちぜん鉄道にはアテンダントの方が
乗っていると聞いていたのですが、残念ながら
早朝の列車故か、この列車には見当たりませんでした。
えちぜん鉄道にはアテンダントの方が
乗っていると聞いていたのですが、残念ながら
早朝の列車故か、この列車には見当たりませんでした。
発車する頃には雪は雨に変わり、列車の窓ガラスは
すぐに曇ってしまって、車窓風景は楽しめませんでした。。。
すぐに曇ってしまって、車窓風景は楽しめませんでした。。。
今日明日行われるセンター試験会場や
三国の高校に通う高校生で車内は混んでいました。
三国で、他の乗客は全員降りてしまい、
ガラガラの状態で三国港に到着しました。
三国の高校に通う高校生で車内は混んでいました。
三国で、他の乗客は全員降りてしまい、
ガラガラの状態で三国港に到着しました。
三国港の駅舎はレトロな雰囲気でした。
東尋坊へは線路を渡ったところにあるバス停から
京福バスに乗ると5分程です。
京福バスに乗ると5分程です。
東尋坊は切り立った断崖絶壁が
日本海に落ち込む景勝の地です。
日本海に落ち込む景勝の地です。
東尋坊に来るのは、中学校の家族旅行以来でした。
遥か昔の事で、はっきりとした記憶は無かったのですが
崖には柵も無く、断崖の近くに行ってしまうと
足を滑らせて落ちてしまいそうです。
遥か昔の事で、はっきりとした記憶は無かったのですが
崖には柵も無く、断崖の近くに行ってしまうと
足を滑らせて落ちてしまいそうです。
折りしも、横なぐりの風と雨で足元は滑りやすくなっていて
足が竦みそうになっていました(^^;
足が竦みそうになっていました(^^;
次に向かったのは大聖寺です。
東尋坊から再び京福バスに乗り、
JR芦原温泉駅に向かいました。
東尋坊から再び京福バスに乗り、
JR芦原温泉駅に向かいました。
東尋坊では、強い雨で傘が役に立たず、
ズボンがぐっしょりと濡れてしまい、
ここで、帰ってしまおうかと思いまししたが、
駅の待合室にいる間に気力も戻り、予定通り
金沢行きの普通電車で大聖寺に向かいました。
ズボンがぐっしょりと濡れてしまい、
ここで、帰ってしまおうかと思いまししたが、
駅の待合室にいる間に気力も戻り、予定通り
金沢行きの普通電車で大聖寺に向かいました。
県境を越えると、雨が雪に変わっていました。
大聖寺は江戸時代に10万石の藩が置かれたところです。
大聖寺駅の近くに、大聖寺藩主・前田家の
菩提寺、実性院がありました。
大聖寺駅の近くに、大聖寺藩主・前田家の
菩提寺、実性院がありました。
伽藍の様子も味わい深かったのですが、
お寺の裏山にある藩主の廟所は
折からの雪もありとても森閑とした雰囲気で、
思わず感嘆の声を上げてしまいました。
お寺の裏山にある藩主の廟所は
折からの雪もありとても森閑とした雰囲気で、
思わず感嘆の声を上げてしまいました。
実性院からはお寺が建ち並ぶ一角を歩き
全昌寺に向かいました。
全昌寺に向かいました。
ここは幕末まで大聖寺城の城主だった
山口玄藩頭宗永の菩提寺だったところで
奥の細道紀行の際に、松尾芭蕉も泊まったお寺です。
山口玄藩頭宗永の菩提寺だったところで
奥の細道紀行の際に、松尾芭蕉も泊まったお寺です。
激しく降る雪の中、芭蕉の句碑を眺めてきました。
全昌寺から更に北に向かい大聖寺城址のある
錦城山公園を目指しました。
錦城山公園を目指しました。
ここは南北朝時代に既にお城が築かれていたところで
戦国末期に山口玄藩頭宗永が城主となっていたお城です。
戦国末期に山口玄藩頭宗永が城主となっていたお城です。
どんなお城かと思っていたのですが、
大規模な土塁と切岸の遺構が残る
立派な平山城でした。
大規模な土塁と切岸の遺構が残る
立派な平山城でした。
雪の中、大聖寺城の様子を写真に撮っているうちに
カメラに雪が入ってしまったのか、遂には
レンズが中から曇ってしまいました・・・
カメラに雪が入ってしまったのか、遂には
レンズが中から曇ってしまいました・・・
昨日紹介した「えちぜん鉄道」の乗車記や
東尋坊、大聖寺の散策の様子、そして大聖寺城の
登城記は後日、本編のホームページで紹介する予定です。
東尋坊、大聖寺の散策の様子、そして大聖寺城の
登城記は後日、本編のホームページで紹介する予定です。