今日は東北の旅の第二日目です。
数日前から今日は荒れた天気になると予報が出されており、
今回の旅行のスケジュールは何度も
あれこれと検討を重ねていたんです。
今回の旅行のスケジュールは何度も
あれこれと検討を重ねていたんです。
交通機関で移動してしまうと、最悪の場合、
弘前に戻れなくなる可能性があるので
午前中に弘前近郊に出かける事にして、
午後は弘前市内の散策としました。
弘前に戻れなくなる可能性があるので
午前中に弘前近郊に出かける事にして、
午後は弘前市内の散策としました。
午前中も、天気の状況によっては
行く場所を少なくする事も考えていたのですが
朝、起きてみるとまだ雪は降り出しておらず
午前中に浪岡と黒石に行くことにしました。
行く場所を少なくする事も考えていたのですが
朝、起きてみるとまだ雪は降り出しておらず
午前中に浪岡と黒石に行くことにしました。
今朝の旅立ちは、弘前を7:15に発車する
青森行きの快速列車でした。
青森行きの快速列車でした。
この頃から雪が降り出し、7:34に浪岡に
着いた頃にはかなりの雪となってしまいました。
着いた頃にはかなりの雪となってしまいました。
駅から歩いて30分程のところにある
浪岡城では、吹雪の様でした。
浪岡城では、吹雪の様でした。
浪岡城は北畠親房の子孫が応仁の乱(1467年)頃に
築城したと言われる中世のお城です。
築城したと言われる中世のお城です。
北畠氏はこの地にかなりの勢力を伸ばしたのか、
浪岡城はさしわたし500m以上もあり想像以上に大きなお城でした。
浪岡城はさしわたし500m以上もあり想像以上に大きなお城でした。
本丸にあたる北館では平面復元もされていて
よく整備された立派な城址でした。
よく整備された立派な城址でした。
雪の中の浪岡城の散策を終えて向かったのは黒石です。
浪岡と黒石の間は、直線距離で7km程ですが
バスの便が悪く、一旦弘前まで戻り
弘南電鉄で向かいます。
バスの便が悪く、一旦弘前まで戻り
弘南電鉄で向かいます。
黒石でまず向かったのは黒石陣屋跡。
黒石陣屋は江戸時代中期の1656年(明暦2年)に
津軽藩から分離されて出来た黒石藩の政庁だったところです。
黒石陣屋は江戸時代中期の1656年(明暦2年)に
津軽藩から分離されて出来た黒石藩の政庁だったところです。
江戸時代に出来た陣屋ですが、
空堀に囲まれた砦のような遺構もありました。
空堀に囲まれた砦のような遺構もありました。
黒石の滞在はわずかでしたが、この町には
"こみせ"と呼ばれる古いアーケード街が残る
伝統的重要建築物保存地域(伝建)の街並みがあります。
"こみせ"と呼ばれる古いアーケード街が残る
伝統的重要建築物保存地域(伝建)の街並みがあります。
"こみせ"は雁木つくりのようになっていて
雪国ならではの街並みでした。
黒石の町を歩くうちに、雪も小降りになっていました。
雪国ならではの街並みでした。
黒石の町を歩くうちに、雪も小降りになっていました。
そして午後は弘前の街中を散策していました。
まず向かったのは弘前城の南西にある長勝寺です。
ここは昨年の11月にも訪れていますが
あまりに駆け足だったので、今回再訪したいと
思っていたところでした。
あまりに駆け足だったので、今回再訪したいと
思っていたところでした。
この界隈には33もの曹洞宗のお寺が集まり、
全国でも同一宗派のお寺がこれ程集まるのは
例がないそうです。
全国でも同一宗派のお寺がこれ程集まるのは
例がないそうです。
弘前城の出城の機能もあったそうです。
午後に携帯から記事をアップした直後に
急に雪が激しく降り出しました。
急に雪が激しく降り出しました。
長勝寺には重要文化財の山門だけでなく
津軽氏の廟所もあります。
津軽氏の廟所もあります。
ここはお寺の方が同行して頂けないと
立ち入り禁止ということで、遠くから眺めただけでした。
立ち入り禁止ということで、遠くから眺めただけでした。
長勝寺の後は、弘前城の北側にある仲町に行きました。
ここも伝統的重要建築物保存地域(伝建)に
指定された武家屋敷の街並みです。
指定された武家屋敷の街並みです。
この仲町を散策するうちに、
短い北国の一日は暮れてしまいました。
短い北国の一日は暮れてしまいました。
帰りがけに立ち寄った弘前城の様子です。
ライトアップされた城門がとても幻想的でした。