岡崎市の中心部を流れる乙川は
岡崎市役所の南に架かる吹矢橋
あたりで蛇行し、浅瀬が現れています。
岡崎市役所の南に架かる吹矢橋
あたりで蛇行し、浅瀬が現れています。
緩やかな乙川の流れに浅瀬があるこの辺りは
浄瑠璃ヶ淵があったところと言われています。
浄瑠璃ヶ淵があったところと言われています。
乙川に架かる吹矢橋からの眺めです。
浄瑠璃ヶ淵は源義経と深い仲になり
義経との別れを儚んでこの世を絶った
浄瑠璃姫が身を投げたところと言われています。
義経との別れを儚んでこの世を絶った
浄瑠璃姫が身を投げたところと言われています。
浄瑠璃姫が16歳の1174年(承安4年)に、
平泉へ向かう義経一行が矢作の宿に泊まった際、
義経と浄瑠璃姫は知り合い、深い仲になります。
平泉へ向かう義経一行が矢作の宿に泊まった際、
義経と浄瑠璃姫は知り合い、深い仲になります。
しかし、義経は平泉へ旅たってしまった為、
残された浄瑠璃姫は別れを悲しみ、
1183年(寿永2年)にこの乙川の流れに
身を投じたそうです。
残された浄瑠璃姫は別れを悲しみ、
1183年(寿永2年)にこの乙川の流れに
身を投じたそうです。
僅かな浅瀬に浄瑠璃ヶ淵の面影を残す乙川。
この清らかな流れに浄瑠璃姫の悲しみも
癒されているのでしょうか。
この清らかな流れに浄瑠璃姫の悲しみも
癒されているのでしょうか。
浄瑠璃姫のお墓は、岡崎城の東曲輪にあります。
今日紹介した浄瑠璃ヶ淵の様子はこちら です:
http://www.geocities.jp/shanehp_tabi1/Travel/Japan/WagamachiOkazaki/Jyoruri.html
http://www.geocities.jp/shanehp_tabi1/Travel/Japan/WagamachiOkazaki/Jyoruri.html