土曜日から昨日の月曜日まで
岡山に行ってきました。
岡山に行ってきました。
昨日の携帯からの記事はこちらです:
携帯からの記事にも書きましたが
岡山へは所用で出かけましたが
3日間の間に、岡山城、後楽園
そして倉敷を見て回りました。
岡山へは所用で出かけましたが
3日間の間に、岡山城、後楽園
そして倉敷を見て回りました。
岡山城は100名城の一つにもなっている名城です。
以前、岡山の路面電車に乗った際には
後楽園へは立ち寄ったのですが、
この岡山城は遠くから眺めただけだったので
ずっと気になっていたお城でした。
宇喜多直家が1573年(天正元年)から築城を始め
その子、秀家が1597年(慶長2年)に天守を築いています。
その子、秀家が1597年(慶長2年)に天守を築いています。
岡山城の望楼型天守は秀吉の建てた大阪城を
似せて作られたと言われているそうです。
似せて作られたと言われているそうです。
岡山城から北にある後楽園へと向かう月見橋から
眺めた岡山城の天守閣の姿はとても綺麗でした。
(上の写真です)
眺めた岡山城の天守閣の姿はとても綺麗でした。
(上の写真です)
不明門や廊下門、そして現存の月見櫓や西手櫓と
天守以外の建物もあり、見応えがありました。
天守以外の建物もあり、見応えがありました。
この写真は1966年(昭和41年)に
再建された廊下橋です。
岡山城も第二次大戦で焼失してしまい
とても惜しまれます。。。
とても惜しまれます。。。
そして、日本三名園の一つ後楽園です。
岡山藩主・池田綱政公が着手を命じ
1700年(元禄13年)に完成した庭園です。
岡山藩主・池田綱政公が着手を命じ
1700年(元禄13年)に完成した庭園です。
この後楽園は、とても広々とした庭園で
芝生が広がり、その中に池や築山が配されています。
池や築山に見える岡山城天守です。
夕方に出掛けたのですが、茹だる様な暑さで
のんびりとは散策出来ませんでした。
それでも園内にある流店では、
建物の中を疎水が流れていて、
その疎水に足を浸す事が出来ました。
建物の中を疎水が流れていて、
その疎水に足を浸す事が出来ました。
そして、岡山からJRに乗って
倉敷にも行ってきました。
倉敷にも行ってきました。
倉敷を訪れるのは1994年10月に
水島臨海鉄道に乗車して以来、
16年ぶり2度目です。
水島臨海鉄道に乗車して以来、
16年ぶり2度目です。
倉敷に着いた時にはまだ朝の8時台で
観光客の姿も少なく、静かな雰囲気の
倉敷を散策する事が出来ました。
倉敷美観地区の堀に浮かぶ川船です。
倉敷ではアイビースクウェアーにも立ち寄りました。
倉敷の歴史には疎かったのですが、
江戸時代には天領だったところで、
このアイビースクウェアーには、
代官所が置かれていたそうです。
江戸時代には天領だったところで、
このアイビースクウェアーには、
代官所が置かれていたそうです。
美観地区の北側にある小高い
阿智神社にも立ち寄りましたが
ここからの眺めも素晴らしかったです。
阿智神社にも立ち寄りましたが
ここからの眺めも素晴らしかったです。
そして、最終日に再乗した岡山電気軌道の路面電車です。
この路面電車も16年ぶりでした。
岡山・倉敷を訪れている間、岡山の街では
温羅じゃ(うらじゃ)と呼ばれるお祭りの最中で
街中はとても賑わっていました。
温羅じゃ(うらじゃ)と呼ばれるお祭りの最中で
街中はとても賑わっていました。
岡山は若い人が多く、活気のある
いい街だな、と思いました。
いい街だな、と思いました。