しばらく金沢の街歩きと、金沢城の登城記をお伝えしてきましたが、
今日は閑話休題、ということで、わか街 岡崎の記事を
本編のホームページにアップしました:
http://www.geocities.jp/shane_hsmt/index.html
今日は閑話休題、ということで、わか街 岡崎の記事を
本編のホームページにアップしました:
http://www.geocities.jp/shane_hsmt/index.html
今日アップしたのは、大林寺です。
大林寺は岡崎城主だった松平信貞公が
1493年(明応2年)に創建したお寺で、
岡崎城の北側に位置しています。
1493年(明応2年)に創建したお寺で、
岡崎城の北側に位置しています。
最近、オープンした岡崎市図書館、
「リブラ」のすぐ北側にあります。
「リブラ」のすぐ北側にあります。
コンクリート製の本堂を見ると
歴史を感じさせないのですが、
1530年(享禄3年)に徳川家康公の祖父、
松平清康公の命によって現在地に移転され、
松平清康公や家康公の父、松平広忠公のお墓もあります。
歴史を感じさせないのですが、
1530年(享禄3年)に徳川家康公の祖父、
松平清康公の命によって現在地に移転され、
松平清康公や家康公の父、松平広忠公のお墓もあります。
こちらは松平清康公のお墓です。
それまで、西三河の一角を占めるだけだった
松平の領地を急速に広げ、三河を平定し、
尾張まで攻め入く程に勢力を強めたそうですが、
1535年(天文4年)、尾張侵攻の途中、
守山(今の名古屋市守山区)で
家臣に殺害されてしまいます。
松平の領地を急速に広げ、三河を平定し、
尾張まで攻め入く程に勢力を強めたそうですが、
1535年(天文4年)、尾張侵攻の途中、
守山(今の名古屋市守山区)で
家臣に殺害されてしまいます。
そのまま清康が生きていれば、
家康よりも何十年も早く天下統一がなされていた
と言われるほど、傑出した人物だったようです。
家康よりも何十年も早く天下統一がなされていた
と言われるほど、傑出した人物だったようです。
そして、こちらが家康の父、広忠公のお墓です。
清康公が非業の死を迎えた際、広忠公は僅か9歳。
その後、今川氏に庇護を求めるなど、
苦労の多い人生だったようです。
その後、今川氏に庇護を求めるなど、
苦労の多い人生だったようです。
清康公や広忠公の質素を通り越して
粗末なお墓を見ていると、
西三河の弱小豪族に過ぎなかった
当時の松平氏の実力を
物語っているように思いました。
粗末なお墓を見ていると、
西三河の弱小豪族に過ぎなかった
当時の松平氏の実力を
物語っているように思いました。
本編のホームページの大林寺の様子は こちら です:
http://www.geocities.jp/shanehp_tabi1/Travel/Japan/WagamachiOkazaki/DailinJi.html
http://www.geocities.jp/shanehp_tabi1/Travel/Japan/WagamachiOkazaki/DailinJi.html