土曜日の朝から出かけている東北旅行。
昨日はその最大の目的だった
日本の鉄道全路線、完全乗車を果たしました!
昨日はその最大の目的だった
日本の鉄道全路線、完全乗車を果たしました!
昨日は、携帯からも投稿しましたが、
まずは朝に弘前城に向かいました。
まずは朝に弘前城に向かいました。
事前に弘前城の縄張り(地図)を手に入れて
散策にかなり時間がかかりそうだと思っていたのですが
予想以上に、弘前城は広大で、多くの遺構が残っていました。
散策にかなり時間がかかりそうだと思っていたのですが
予想以上に、弘前城は広大で、多くの遺構が残っていました。
昨日、携帯から投稿した定番の
下乗橋からの御三階櫓(天守)です:
3つの三重櫓、櫓門も5つ残っています。
下乗橋からの御三階櫓(天守)です:
--- デジカメの写真に置き換えています
弘前城にはこの御三階櫓の他に3つの三重櫓、櫓門も5つ残っています。
弘前城で一番大きな北門です。
そして、弘前城には本丸を三重に取り囲む堀がありますが、
こうした三重の堀が残っているのは、この弘前城だけだそうです。
こうした三重の堀が残っているのは、この弘前城だけだそうです。
弘前城で思わぬ時間が掛かってしまい
市内の散策は殆ど出来ませんでしたが
津軽藩主の菩提寺・長勝寺と
五重塔のある最勝寺を訪れました。
市内の散策は殆ど出来ませんでしたが
津軽藩主の菩提寺・長勝寺と
五重塔のある最勝寺を訪れました。
この後は、弘前からJRのディーゼル列車で
五所川原に向かいました。
五所川原に向かいました。
五所川原で接続する、津軽鉄道が、
日本の鉄道で最後まで残った未乗路線でした。
日本の鉄道で最後まで残った未乗路線でした。
津軽五所川原から津軽中里までの
20.7kmが最後の路線です。
20.7kmが最後の路線です。
JRの五所川原駅の北側に
寂れた津軽鉄道のホームがあります。
以前使われていたディーゼル列車や
冬のストーブ列車用の客車が
置いてあるホームに佇んでいると
最後の一路線という感慨が高まってきます。
寂れた津軽鉄道のホームがあります。
以前使われていたディーゼル列車や
冬のストーブ列車用の客車が
置いてあるホームに佇んでいると
最後の一路線という感慨が高まってきます。
乗車した列車には団体客も乗り込み、
増結された2両編成のディーゼル列車が
津軽半島の、のどかな景色をゆっくりと走っていきます。
増結された2両編成のディーゼル列車が
津軽半島の、のどかな景色をゆっくりと走っていきます。
奥津軽トレインアテンダントの車窓案内を聞きながら
終着駅、津軽中里に到着しました。
終着駅、津軽中里に到着しました。
津軽中里はある程度のまとまった集落の中の駅で
スーパーが駅舎に隣接して建てられていて
想像していた様な寂れた駅ではなかったのですが
日本の鉄道全線乗車を達成した充実感がありました。
スーパーが駅舎に隣接して建てられていて
想像していた様な寂れた駅ではなかったのですが
日本の鉄道全線乗車を達成した充実感がありました。
鉄道旅行を始めてから31年かけて
やっと日本全国の鉄道に乗ることが出来たのですが、
その間に、いくつもの路線が、未乗のまま
廃止になってしまった事が、心残りです。
やっと日本全国の鉄道に乗ることが出来たのですが、
その間に、いくつもの路線が、未乗のまま
廃止になってしまった事が、心残りです。
津軽中里では、折り返しの列車まで、
小一時間の待ち時間があります。
駅前の観光案内板を見ると、中里の街中に、
中里城という城跡があるというので行ってみました。
小一時間の待ち時間があります。
駅前の観光案内板を見ると、中里の街中に、
中里城という城跡があるというので行ってみました。
城といっても今から約5500年前の集落が
平安時代半ばに、土塁や空堀で
防御を固めるようになった遺跡跡だそうです。
平安時代半ばに、土塁や空堀で
防御を固めるようになった遺跡跡だそうです。
こうした遺跡は北海道南部から東北地方北部にかけて
多く見られるそうで、当時、この辺りは
集落間の争いが絶えなかったようです。
多く見られるそうで、当時、この辺りは
集落間の争いが絶えなかったようです。
そして、津軽中里からの列車を金木で下車し、
太宰治の生家・斜陽館を見てきました。
太宰治の生家・斜陽館を見てきました。
金木から津軽五所川原へ出て、
五所川原で40分程の待ち時間で
鯵ヶ沢に向かいました。
五所川原で40分程の待ち時間で
鯵ヶ沢に向かいました。
五所川原から乗車した「リゾートしらかみ」です。
(鯵ヶ沢駅にて)
(鯵ヶ沢駅にて)
長年の目的を果たし、充実した一日となりました。