携帯からも投稿しましたが、
今日は雨の中、静岡に行ってきました。

用事の合間に静岡の街を散策していたのですが、
用事をしに行ったのか、街の散策をしに行ったのか
分からなくなるほど、あちこちに行ってきました(^^ゞ


今日はまず、駿府城を再訪し、日本100名城のスタンプを押したあと、
タクシーで静岡市内の北にある臨済寺へ向かった後、
臨済寺から静岡浅間神社、そして瑞龍寺へと歩きました。

そこからバスで新静岡へ出て、「静岡鉄道で音羽町駅に向かい、
清水寺、一駅戻って華陽院へと、静岡市内にある
家康に関連した史跡の多くを訪れて来ました。



静岡は家康が8歳から19歳まで今川家で人質生活を送り、
江戸幕府を開き、秀忠に将軍職を譲った後、
駿府城で晩年を過ごしています。

臨済寺は、その人質生活を送っていた時、
今川義元の軍師・大原雪斉が住職を務めていたお寺で
家康は太原雪斉から教育を受けていたそうです。

臨済寺の様子です。
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この臨済寺は修行の場ということで、
「拝願謝絶」との札が門に掲げられ、
厳格な雰囲気でした。

背後の山が唸っているような感じでした。

臨済寺の近くにある静岡浅間神社には
1804年(文化元年)から60年かけて建てられた
極彩色の社殿が見事でした。

イメージ 2


瑞龍寺は、秀吉の異父妹で、夫と離縁させられて
家康の元にと嫁がされた旭姫のお墓があります。

また華陽院も家康が文学を学んだお寺だそうで、
家康と共に今川氏の下で暮らしていた
家康の祖母の源応尼のお墓がありました。

イメージ 3


人質時代の家康の事はよく知らなかったのですが、
祖母と一緒に今川氏の下で人質生活を送っていた事とか
今川義元の軍師で、その当時の今川氏の興隆に
大きく貢献していたと言われる太原雪斉に学んだ事等々、
少しはその時の事を理解することが出来ました。

特に戦国の乱世、今川家に属していたとは言え、
外様にあたる松平氏からの幼い人質に、
今川氏の軍師を努めた程の大原雪斉が
直接、家康に教育を施していた事は驚きました。

なぜ、太原雪斉は家康に教育を施したのか、
少し時間をかけて、考えてみたいと思います。


今日の静岡の散策の様子は、後日、
本編のホームページに旅行記にしようと思っています:
http://www.geocities.jp/shane_hsmt/index.html



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