日本で安くご飯を食べるなら、牛丼屋に入るという方法があります。牛丼というのはご飯の上に牛肉とタマネギを煮たものをのせたもの。中国語なら”牛肉飯”ですね。350円くらいで食べられます。


 日本では「吉野家(よしのや)」というお店と「松屋(まつや)」というお店が有名です。長春に「古本吉田」というお店がありますが、看板とか食器とか 吉野家 にそっくりです。


 さて、先々週撫順に行った時、瀋陽北駅で 吉野屋 を見つけました。昼食と夕食の間の時間だったので、テイクアウト(打包)して電車(和階号)の中で食べました。日本の吉野家の味に近く、古本吉田よりやっぱりおいしいと思ったのですが、中国の人には古本吉田の方がおいしいと思うかもしれません。


 招待所の近くの西康路に日本のラーメンのお店があって、ある先生は「味が薄くておいしくない」と言っていたのですが、店のポスターを見ると「中国人向けに少し味を薄くしてあります。濃い味が好きな方は「北海道味」と言ってください」とのことでした。実際、「北海道味」にしてもらったら日本のと近い味がしておいしかったです。


  日本の中華料理も中国の人が食べたら、「これは中華料理ではない」と思うかもしれませんね。


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月曜日のなわとび大会、ひさしぶりに別の筋肉を使った感じでした。


全然練習していなかったので…何回も引っかかってしまいました。恥ずかしい!みんなで飛ぶなわとびは日本では男の子の遊びではないような気がします。小さい頃、あまりやった記憶がありません。一人でするなわとびも私はあまり得意ではありませんでした。


個人競技のなわとびもすごかったですね。プロのボクシング選手みたいでかっこよかったです。


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 20日に和階号に乗って瀋陽まで行き、瀋陽北駅前の「加州牛肉面大王」で食事をして、バスで撫順へ行きました。バスが故障して、ちょっと時間がかかりました。着いたのが夕方だったので、高いビルの一番上(23階)にある展望レストラン(食べ放題で39元で景色もよくて、なかなかいいレストランでした)。

 21日は朝から父の子供の頃住んでいた家に行ってみました。日本で調べて当時の地図を持って行ったおかげで場所はすぐ分かり、そこに座っていたおばあさんたちにいろいろ話を聞きました。昔の家は、なくなっていたのですが、昔に父が住んでいた家が40年位前まであったことを覚えていたおばあさんがいて、そこが確かに父の住んでいた場所だということがわかり、父も喜んでいました。


 父が通っていた小学校は当時のものがそのまま残っていて、警備員さんたちの好意で中に入らせてもらいました。その他の思い出深い場所も写真に収めることが出来、65年ぶりのよい撫順訪問となったようです。


 両親が6月19日から26日まで日本から来ました。6月20日と6月21日は、父と母と師範大の日本語専攻の学生さん(通訳をお願いしました)といっしょに撫順へ行ってきました。


 父は1943年(5歳の時)に撫順に家族で来ました。祖父(私の祖父です。父の父)が製薬会社につとめていて、撫順に工場が出来たので家族で来たそうです。薬の工場には中国の人がたくさん働いていて、父はまだ小さかったので、工場の人が父のことをかわいがってくれたそうです。


 1945年に、戦争が終わると家を失ない、会社の人と一緒に撫順に部屋を借りて共同生活をしたそうです。初めは持っている物を売って生活していたそうですが、だんだん売るものがなくなり困ったそうです。


 「何か商売をしよう」と思ってお菓子を作って売ったりしました。でも、あまり売れなくて困っていたところ、誰かが「私たちは薬屋だから薬を売ろう」と考えついて、男の大人が瀋陽までいって薬を買ってきて、撫順の町の道に机を置いて、薬を売ったそうです。お医者さんも少ないコロなので飛ぶように売れたとのこと。そうやって一年くらい生活したそうです(幼い父も売り切れた薬を取りに行くのを手伝ったとのこと)。


 1年くらい後、日本へ帰る船に乗ることが出来たので、コロ島から船に乗って日本へ帰ってきたそうです。話の続きはまた明日。

今日の食事会では、テーマを決めて、自分の町のいいところひとつと、その理由を話してもらいました。


私は東京の東久留米市というところに住んでいますが、いいところは電車で30分で都会に行けるのに静かなことです。物価も少し安いです。あっ!いいところがふたつになってしまいましたね。


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6月17日の食事会は王(崇娥)さん(1班)、方さん(2班)、宋さん(3班)、宮さん(5班)でした。


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6月15日の食事会は馬さん、邵さんでした。ふたりだったので、いろいろたくさん話せました。


はずかしいのですが、ハルビンで「長春から来ました」と言ってもなかなか通じませんでした。「長春」というのがどうしてもわかってもらえなかったので、馬さんと邵さんに一生懸命直してもらったのですが、長春[chang2chun1] が どうしても 長城[chang2cheng2] に聞こえてしまうようです。うーん、むずかしい…。



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 生け花教室は11回で希望する学生には参加してもらって、2回目を予定していましたが、”加奈子先生”の体調が少しよくないのでしばらくお休みします。

 待ってくれていた学生さんには、ごめんなさい m(__ _)m



金曜日の食事会は、李さん(1班)、石さん(1班)、黎さん(2班)、商さん(5班)、曹(5班)でした。講演会が2時からだったのでいつもよりゆっくり1:30くらいまで話していました。


 金曜日は食堂が混んでいるので、大きな部屋で食べました。いろいろな話が出ましたが、「一番最初の記憶」について話してもらいました。私の最初の記憶は2歳の時、「年はいくつ?」と聞かれて、指を2本だしたことです。黄色の服を着ていたことも覚えています。それから先は幼稚園の頃まであまり覚えていませんが。


 皆さんの「一番最初の記憶」はなんですか?

今日は9人の学生と食事をしました。映画の話をしながら食べましたが、複雑なストーリーを話せるようになっているのはすごいですね(私は黒澤明監督の「生きる」について少し話しました。実はあまり映画館では見ないのですが…あっ、”ハリーポッター”は新しいのが出ると見ています)。「中国でもデートをする時によく映画を見る。私は大学生の時に一回だけ映画館に行った」という話が印象的でした。


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