霊宝館の向かいに

増福院という

宿坊があります
















高野山の

1,200年という長い歴史は

多くの先人たちの

空海への尊信と

たゆまない努力により

刻まれてきましたが、
















覚海(かっかい)上人も

そのひとりです







覚海上人は

増福院が併合した華王院に住し

寺内の興隆に努めただけでなく







高野山と

吉野金峯山寺との対立に

奔走しました









『新・高野百景』の

遍照ヶ岳のくだりで

覚海上人が出てきます








「遍照ヶ岳は大伽藍南に位置する小高い丘で

貞応ニ年八月十七日、八十二歳にして

突如として大身に現じ、両脇に生えた

羽翼で大空に飛び去り、永く祖山の鎮護と

なったという覚海上人の尊廟があることから

覚海山の名前で親しまれてきました。」











「突如として大身に現じ…」の

意味が分からず

調べましたら、

増福院の案内に

以下の伝承が

記されていました








「弘法大師に祈り、

神通力を得、

自己の七生の流転を知るや

天狗と化して昇天…」








貞応ニ年八月十七日と

正確な日付けが残っていることから

覚海上人がご入寂されたことは

察しがつきますが、








天狗となり昇天とは?








驚くべきことに

このことを

谷崎潤一郎が本にしています










Kindleに無料でダウンロード

できました








高野聖をはじめ

当時の高野山のことを

谷崎潤一郎が

綿密に調査していることに

あらためて驚きました








じっくり

読んでみたいと思います








さて、







高野山は

内八葉、外八葉と呼ばれる

峰々により、

蓮の台のように

包まれていて、







大伽藍をとりまく内八葉の

ひとつが遍照ヶ岳です















遍照ヶ岳からは

大塔、金堂、中門が

見渡せます







肋骨の骨折も

ほぼ治りましたし







雪が溶けたら

遍照ヶ岳の覚海上人を

お詣りしたいと思いますが







春が待ち遠しいと

思う反面、

時の流れるスピードを

ゆるめたい…

とも思う今日この頃です








合掌



遍照ヶ岳と朝日