奇跡は起こらず、3月1日夜9時25分に死亡が確認されました
桜の季節まで生きていたいな・・・って言ってたのを思い出します
桜はちょっと無理だったけど、桃の節句にお骨になりました。
2月中よりは春っぽい3月までがんばってくれましたね
この中の5人と数日苦楽を共にしていたけど、実は1人しか名前がわからないし会ったこともないのだ(笑)
最終的にお骨になって、そのお骨は誰が持っていくのか・・・ということでみんなが私を指さした・・・・
いいけど、お墓もないからうちの棚だよ・・・・M史様のご両親の隣に・・・しかもトイレの横・・・
暖炉の上に作ったちょっとちゃっちい棚の一番左が位牌置き・・・・
そこらへんに並びます・・・
余談だけどこの石は友達とみんなで貼った青春の賜物
そういうわけでほとんど知らない人だけど、みなさんは私のことは凄くよく知ってるらしい。
故人がいつも私のことを話しているそうで、何だか照れくさいよ・・・
なすびが食べれないこともみんな知ってたわ・・・・
私は知らない人でも名前も聞かず、ずっと一緒にいられるし、しゃべったりして遊べるタイプだから、馴染んでた
みんなめっちゃいい人だったし
在宅で亡くなる場合は家で納棺ってできないそうで、一旦安置所みたいなところにお連れして、納棺するんだそうです。
なんだか ふーんって感じ。
うちのお母さんの場合は施設で亡くなったけど、そこからお棺に入ってきたわけではなく、家のベッドに寝かせてありました。
その後出棺前にお棺にいれたのに・・・・なんだろ、この違い・・・・
それもだけど、我が家は直葬ばっかで今回と一緒なのに、いつぞやブログで書いた死体担ぎがないのだ・・・
お棺に入れるときはみなさんで~ということに3度も当たって、私はそういうの絶対無理なので、部屋から逃げてた・・・
同じ直葬なのに今回はそういうことなかったのよね・・・
故人の彼女が「東海典礼」は凄い親切でよかったから是非あそこでお願いしますって言っただけあって、確かにいいサービスだった
最終的に遺品を整理したり分配したりして部屋を後にし、故人が好きだった焼肉に繰り出した
女の人ってたくさん食べるんだなぁ・・・と思い知ったのでした
湿っぽいよりはこういう送り方のがいいねってしみじみ思ったけど・・・・
うちの父親が知ったら「俺はおちおち死ねない」ってとても不安がるに違いない