今日は、湧き出るままに綴った文章で表現してみます。
久しぶりにやったダイナミック瞑想の呼吸とサイレンスのパート。
私の中の生命力を揺さぶり… 「無意識」の緊張を解き放ってくれます。
思い切り、エネルギーの塊になる。
思い切り、クレイジーになる。
瞑想の中で、踊っている時
きっと私はエクスタシーの表情を浮かべている
その表情を見られる事を恐れて。
以前は家族に隠れて瞑想していた。
部屋を閉めきっt、絶対覗かないでねと、鶴の恩返し状態だった。
けれど、今日ダイナミック瞑想の混沌とした呼吸をトータルにやっている時に
息子が部屋に入ってきた。
そしたら、母親が息を荒げて、呼吸をしているのを見て
やばいもの見たような顔して「新しいダイエットなの?」といいながら
気恥ずかしそうに出て行った。
きっと、普段は見せない私の顔を垣間見たからだろう。
きっと、その時私は恍惚とした表情をしていたのだろうと思う。
この息子とのやり取りの後、瞑想を続けていると…
訳もなく泣きたくなった。
私は、こうして、「母親」という役割。
「世間的に安全、無害な人である」という役割の下に
どれだけ、自分の潜在的な生命力、性命力を抑圧して生きてきたのだろうと。
家族にさえも「真実」を晒す事が怖いのが、私なのだ。
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「人畜無害です」という顔をして。
自分の生命エネルギーを矯正して生きるほうが楽だ。
少なくとも社会という枠組みの中では安全でいられる。
人は、自分の弱さよりも、パワーを恐れていると言われるが。
本当にそうなのかもしれない。
私達は、社会が学校の仕組みの中で「去勢」され続けてきた。
もちろん時には、社会的な「仮面」も必要だ。
けれど、それが自分自身だと「同化」しない事を思い出させてくれる。
「本音」とは、本当の音と書く。
ダイナミック瞑想は、私の本当の響きを思い出させてくれる。
私という存在の中心に在る「響き」から「現実」創っていく事のみが、
自分の人生を豊かな充足へと導いてくれる事。
忘れないでいるために。
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