先日受験をしました宅地建物取引主任者資格試験、通称「宅建」に合格しました。
生憎、問題難化の年での受験となりましたが、
ボーダーの32点を上回り合格という学習期間のわりに奇跡的な結果を残せました。
試験日が10月の中旬辺りで、自分が対策を始めたのは9月の頭からでした。
1ヶ月ちょっとの学習で合格できたのですが、
今回は私の行った対策方法(そんなスゴいことはしてませんが…)を
合格の記念に書き残しておきたいと思います。
受験を考えていらっしゃる方、対策に悩んでいる方に少しでもお力になれれば幸いです。
稚拙な説明が続きますが、どうぞよろしくお願いいたします。
始めに述べておきますが、私は宅建対策を始めるにあたって、
不動産業務に従事ていたことや、法学系の学習をしていたわけでもなかったので、
初学者からのスタートでした。
大体の人は初学者だと思いますが、
そんな初学者でも十分に戦えますのでご安心下さいね。
また私自身は学生の身分ですが、アルバイトやゼミで忙しかったため、
1日にとれた勉強時間は多くても2時間程度でしたので、
時間が無い人でも十分に合格が出来ると思います。
さて、実際の対策方法ですが、まずは新しい分野、単元を学習する方法について。
ここでのポイントは「6割理解したら、とにかく問題を解く。」ということです。
具体的に説明します。
例えば、民法の意思表示に関して 。
意思表示の分野では、
「心裡留保」、「通謀虚偽表示」など『そんなこと聞いたこともないよ。』と誰もが思い、
ムズカシソウと直感的に感じる用語が出てきます。
さすがにそれらの用語の持つ意味を知らないと試験でお話にならないので、
とりあえずなんでもいいですから書店で参考書を買って、
退屈さと眠気に耐えながら、それらの用語の「なんとなく」のイメージを持ちましょう。
イメージを持つことが先ほど述べた「6割の理解」です。
その「6割の理解」でイメージが持てたら、あとは過去問なり予想問題なり問題を解きましょう。
参考書を初読した段階で書いてあることの10割、全てを完全に理解しようとしないで下さい。
時間がかかって非効率です。
また、たまに、資格試験対策はとにかく過去問を解くことだ!と躍起になって、
いきなり過去問演習から始める方がいますが、
自分はそれはよほどの地頭がある人でない限りムズカシイと思います。
イメージもつかない用語が絡み合う問題を解き続けて、
本当に理解に繋がるんでしょうか…。
仮に理解に繋がるとしても、その問題演習はとにかく苦痛な時間にならないでしょうか?
限られた時間の中では、集中力を維持することが大切です。
苦痛は集中力を途切らす原因になるのは誰もがわかるものです。
集中力さえ途切れた苦痛な時間の中で、理解が得られますか…?
ですのである程度のイメージを掴んだ上での問題演習が大切になります。
もちろん「なんとなくのイメージレベル」の理解ですので、
問題を解けば、当然に間違えると思います。
間違えたら解説を熟読しましょう。
解説の熟読を含めた問題演習を通じて出題パターンや、
知らなかった用語の意味が、段々とわかってきます。
すると、「6割の理解」だったものが、
いつしか「8、9割の理解」になっていると思います。
そこまでくれば、もうOKです。
次の単元に進みましよう。
注意したいのは、ここでも「10割の完全理解」まで追い求めないことです。
理由は2点。
1つは、1ヶ月という時間で、全範囲を完全理解するのは、恐らく無理だから。
(出来るという自信がある方は、やってみれば良いと思いますが…。)
もう1つは、宅建試験の出題レベルであれば、民法でも業法でも、
参考書に書いてあることを隅から隅まで覚えなくても、
「8、9割の理解」で十分に対応できると先の『問題演習』の中で感じたからです。
(同じように感じられるハズです。)
以上のようにしてどんどんと既習範囲を広げていきましょう。
1ヶ月での合格を考えた時、わからないところで立ち止まっている時間はありません。
6割のイメージすら持てない分野、単元は積極的に飛ばして後回しにしましょう。
実際に自分は建築基準法、税法の一部に関しては細かい数字も多くイメージが持てなかったので、
一切触れないで試験に望みました。
宅建合格のポイントとしては、「狭く深く」ではなく、
「広くまんべんなく」であることも忘れてはいけません。
さあこれで新しい分野、単元の学習は進めることができますね。
が…新しいことを詰め込むと、自然と古いことは忘れていってしまうものです。
そうなんです。
しっかりと復習をしないとせっかく学習したことを忘れてしまいます。
復習方法に関しても自分が行った方法を紹介します。
いたって簡単です。
A4の紙を用意して下さい。
各単元で、自分が忘れがちな用語だったりと弱点が必ずあると思います。
それをまとめましょう。
まとめるといっても、簡単に。箇条書きレベルでいいです。
そしてまとめたら、朝起きた時と夜寝る前の30分を目安にザッと毎日目を通しましょう。
それで十分です。(個人差はあると思いますが…。)
まとめる過程で参考書の如く文章でまとめてしまうと読み返すのが面倒になります。
なので、箇条書きレベルで良いんです。
自分は試験前夜までで、そのまとめたA4用紙が38枚になりました。
(…それだけの量になったので到底30分で読み返せなくなったのは秘密…)
38枚というとそこそこの量になりますので、重ねたときに分厚さもあります。
これは自分に自信となりますよ。「こんだけ自分は勉強したんだ」ってね。
試験当日は会場に持って行って机に広げてドヤ顔しましょう。
たまに変に勘違いしてる人がいますが、
試験会場で周りの人はお仲間ではなくライバルです。対抗心を持ちましょう。
これで復習の仕方も、試験会場での振る舞い方もバッチリですね?
ではペンを持って学習を始めましょう。
今すぐに参考書を開ける人が合格を掴めるでしょう。
この記事を読んでいるあなたが、試験日まで1ヶ月以上の期間がある人で、
「今更間に合わないし~。」と受験を躊躇っているのなら、それは甘えです。
周りを見てても思ったことですが、
宅建は恐らく時間さえかければ誰でも受かる試験です。
ですので、そんな試験を面白く受けたい人は、
自分のような『1ヶ月チャレンジ』に挑戦してみてはいかがでしょうか?
最高にワクワクできる1ヶ月間を約束します。
それでは頑張ってください!
※参考までに自分が使っていた参考書を紹介しておきます。
『パーフェクト宅建 基本書』 (住宅新報社)
…選んだ理由は特にないです。
参考書を買いに行った時に同伴してた女の子が、
「これがいいんじゃない。」と言ったのでそれにしただけです。
※試験対策をサポートして下さった太田先生、本当にありがとうございました。
この場を借りて御礼申し上げます。
専門学校の方で個人面談があった。
出席率や成績といったものの確認から、ちょっとした面接練習、今後の進路相談をした。
成績の方こそ幾分の自信があったが、面接に関しては案の定ダメ。
さすがの人事担当に自分に足りないものをズバスバと見抜かれ、
内心では泣きっ面になりながらお言葉を賜った。
「君は組織に属することがあまり好きじゃないように思われるね。」
まさにその通りです。
なんでかね。
好きじゃないです。はい。確かに。
しかし今後社会に出て仕事をするということは組織に属して集団で行動するということ。
今までように1人で良いやじゃダメだということもよくわかってる。
思えば高校2年生のときのこと。
修学旅行の行き先のことに関して各グループで調べたことをまとめて発表するという機会があった。
優秀なグループは後日、学年で発表を行うということもあり、せっかくなら代表を狙おうと、
当時まだ周りがパワポなんて使い慣れていないときに、自分はそれを用いて、
十分な参考資料、文献に基づいて、高校生にしては恐らく頑張ったであろうスライドを用意して、
入念に練習をして準備をしていた。
しかし諸々の準備、発表練習に来ない者が1名いた。
記憶するところ4名程度のグループであったはずだから1人の持つ役割は大きい。
発表の当日、そそくさと現れた彼は、驚くことに自分にも発表させろと申し出た。
力を注いで作ったものであったから邪魔されたくなかったが、旅行前から揉め事を起こすことも避けたかったので、下書きを作り、それを読むように伝えた。
自分たちの発表が回ってきたときに、やはり彼がやらかした。
今からすると予想できたことだったが、当時の自分にそんな能力はなくgdgdな発表に終わった。
結果的におちゃらけたネタに走ったようなグループが代表に決まり、自分たちは準候補で終わった。
もちろん、今こうして書き出せば、「なんだそんなことよくある話じゃん」で済むことだが、
当時はそれが受け入れられなかった。
「全部自分に任せてもらえれば発表は上手くいった。たとえ代表こそ取れなくともベストを尽くせたことで満足できたはずだ。なのにどうして何も役に立たなかった人のせいで台無しにされるんだろう。」
そんなことを思っていたと思う。
感情に任せて1ヶ月前に機種変したガラケーをへし折ったのを今でも覚えてる。
また、そこまでその発表にかけていたのにも理由があった。
というのも、何を思っていたのかその当時は金髪の長髪で学校内で明らかに自分は浮いていたし、
言われの無い悪口や噂を立てられていた。
だから、自分を知らないで悪くいう人たちに、そういう言われの人じゃないんだってことを証明したい一心があった。
しかしそんな風に素直に言えなかった当時は、
「お前らが馬鹿にしてる俺は、お前らよりも良いものを作った。お前らなんかに負けないんだよ。」
と幾分粋がったように思っていたはずだが…笑
まあそんな一件を今でも鮮明に覚えているということは、
それだけ今の自分に影響を与えた出来事だったんだと思う。
どことなく今の自分は、
グループで完成させるものが1であるとしたとき、それを4人で完成させようとしたら、
1人が出来るのは良くも悪くも1/4。
1/1の全てを1人で作ることはできないし、
全員が1/1を作って完成されたものが4になるわけでもない。
もし1/1作れるキャパがあるなら1/4だけ作れと言われてもやる気になれない。
1/1作れるなら1/1を作りたいし、1/4に1/1と同じ分の力を注ぐことはなんか違う。
そういう風に思っているところがある。
そういう意識を変えて、集団行動に慣れる必要性が間違いなく求められてきている。
しかし一度ついた意識はなかなか変えられない。
こうして文にして整理こそできるが、だからといって明日から意識が変わるわけではない。
だから経験をしよう。みんなで何かをする、そういう経験を。
集団行動に関してもう一つ言えば、その集団のメンバーとの関わり方にも苦手意識がある気がする。
先輩、後輩に対してはそういう意識は無いが、苦手なのはタメ…。
最近になって趣味を通じてわかってきたのは、自分は負けず嫌いだということ。
「同じ歳ならば負けてたまるか。」そういう意識が潜在的に自分には人よりある。
その意識がタメとの間での会話では露骨に露呈するときがあり、
そういうときに上から目線になっている。
結果として、そのことがタメとの会話への苦手意識に繋がっている。
潜在的な競争意識は、最初から潜在していたのではなく、
中高大とほぼ全ての受験を経験してきたことから生まれたんだと思う。
人より一歩前にでないと負ける。
そういう意識の中にいることが多かったから、負けることへの恐怖心が人一倍強くなっていた。
加えて、学生のつとめは「勉強すること。」
よく言われるその言葉を疑わずに、机に向かうことは良いことなんだと思っていた。
だから周りが遊んでる時に机に向かうことは周りよりも良いことをしていて、
自分は周りと違ってやることをやっていると錯覚していた。
そして「やることをやっていればものを言える当然の権利がある。」と盲信して、
同時に「やることをやってないものよりも自分は立場が上だ。」と思っているところが非常に多かった。
だがそれは違うようだ。
大学4年間ひた向きに勉強だけしていた先輩が、その後、就活に失敗し大きな過ちを犯したのを見てそう思った。
不思議なことに社会から無言として要請されている、「勉強をすること。」のみをしていても、
社会には不適合となってしまう矛盾。
小中高までは要請通りにしていれば、得点という指標のもとで成績評価がされ、
要請通りの者こそがさも価値があるかのように扱われるが、
どこからかの境目で、要請に答え続けるだけの者は要請をしていた社会に適することができなくなる。
おりこうさんに机に向かっているだけで良いのは、どうやらもう違うらしい。
何が要請されているのかよく見抜かなければならない。
話が飛躍したが、とりあえずは、
「~してる人は偉くて、~してない人は偉くない」
そういう判断はしないようにしていこう。まず一歩そこからだ…。
色々と総括すると、何か言われ続けてきたことを疑わずに盲信していることが、
どうやら自分は多そうで、そこで作られた価値観、価値判断基準が
呪縛となって選択肢の幅を狭めているのだと思う。
今まで自分が思っていた当たり前や考え方を疑ってみて、
新しい考え方が生まれそうなことには挑戦をしてみる。
挑戦をすることで人との関わりが自然と行われ、苦手としている集団行動も克服できるかもしれない。
毛頭もいない読者からすると、何をこいつは当たり前のことを言っているんだと、笑うかもしれない。
自分は0からではなくマイナスの位置からのスタートであるから、
そういうことでも一つ一つ自分で確かめて納得していかなくちゃいけない。
そのためのステップであるからご容赦願いたい。
こう考える機会を与えてくれた面接官の先生、感謝してます。
初秋の冷たい風の寂しさに耐えかねて家を出た。
夕暮れに染まる空、広がるいわし雲。
日が暮れる時間が早くなっていることにびっくりする。
蝉に代わって鳴き始める秋の虫たち。
飛んでゆく鳥たち。巣に帰るのか。
1人歩くときだけは、スマートフォンを機内モードに設定する。
この時間は自分で守る。
何かを感じるとき、五感を最大限に研ぎすませる時間に、繋がりは不要だ。
帰宅する。記事をタイプする。
1人歩く時間が、季節と自分を見つける時間ならば、
この時間は、自分自身をちょっと離れたところから鳥瞰する時間。
自分が思うこと、感じたことを、言葉にして、整理する。
感覚的なフィーリングを再思可能、いつでも思い出せるカタチに変える。
そうすることで散らばっていた自分を束ね、タシカメル。
ブログに記事を投稿する意味は自分にとってはそんなところだろう。
風邪から復帰して、ちょっとした旅行に行ってきた。
8月に入ってから何度目の旅行だろう。
行く先は、南伊豆。
自分の知る限りでは、首都圏から一番近いホンモノに近い海はここにある。
『南伊豆がホンモノなら、湘南はニセモノか?』
時より飛ばされるこのようなツッコミには、つくづく『中学生か』と思う。
ホンモノに感じれるならホンモノと思えばいいじゃないか。
もしいればの話だが、この記事を読んでいるあなたには、
「自分の海」はあるだろうか?
訪れると、また来たんだという感覚をこえて、
ああ帰ってきたんだと感じれるような、そんな海。
どんなに忙しい日々を過ごしてても、そこに行けば(戻れば)、自分が還ってくる、
そういう感覚を与えてくれる海。
それは別に透明度が高くなくても、白い砂浜が広がっていない、
綺麗とは言えないトコでもいい。
というのも綺麗な海は、雑誌を広げれば、いくつでも見つかるからだ。
しかし自分の海はどうだろう?
ー響くモノ、大事なコト、本質はいつも誰かから教えられない。
そういうコトは自分から探して見つけ出さなくちゃイケナイ。ー
雑誌広げて見つけたモノをこれだと決めつけるのは安易過ぎる。
勧められたコト、教えられたコトが全てじゃあー無い。
まだまだ見つからない自分の海。
来年も再来年も、見つからないかもしれない。
いや、きっと見つからない。
何年、何十年かけてでも見つけたい。
風邪を引いて寝込むこと3日間。
一向に熱が引く様子も伺えず、もはや39度台の熱くらいフツーに感じられる。
初日は強い力で押し付けられるようにして布団に寝込んだ。
7月から間髪入れずに予定びっしりだったのだから身体を壊すのも当然で、
自業自得の結果に尚更、賢者の時間は増す(笑
しかし何もしなくても良い時間を与えられて、どこかホッとした一面もある。
いつか体調を壊すとは思っていたのに、そのことから目を遠ざけていた分、
くるべきものがやってきたのだという安心感。
「これで休める。」
どんなことでも自分で終わりをつくることは難しい。
意地だったり、責任だったり、そういった柵がまとわりついて簡単に終わりを認めさせない。
そんな自分には何か限界が訪れて、それをきっかけに終わりを作ることしかできないのだろう。
やれ責任なんて言葉は自分には重過ぎるのだが。
その言葉の伴物を考えるだけで気が重い。
ふと思ったことが2つ。
1つは人との対話の仕方について。
対話力がある人たちには当たり前のことなのかもしれないが、
人と対話をする中で、理解出来ないことがあったときには、
平行線の議論を続けることよりも、
なぜその人がそのような考えに至ったのかという、成長背景に目を向けてみた方が
理解に繋がり易いということだ。
提唱されている考えにこだわって、ただそれを理解しようとするのではなく、
背景からその人自身を理解しようと努めることで、わからなかったことがわかるようになるかもしれない。
少しばかり楽観的で安易な考え方かもしれないが、
今の自分にはそういう考え方が必要な気がする。
というのも、そもそも自分は今まで、
誰かを理解しようとか誰かに理解してもらおうという対話をあまりしてこなかった。
「わかるやつにはわかる。わからないやつにはわからなくていい。」
そういったある種の傲慢な態度で人と接してきて自ずと上から目線にもなった。
趣味の時間はそれで良いかもしれないが、日常的にその態度じゃやはりダメなんだと、
もといその態度じゃ行く先は孤独しかないのだと、どことなく気がついたからだ。
もう1つは猜疑心。
最近切に思うのは、
人の言葉を疑い過ぎないで単純でいることも多少なりとも必要なのだということ。
1つの美味しい話があったとき、自分は必ず話の裏を考える。
相手が何を考えていて、自分をどう利用しようとしているのか。
もちろん騙されないために、このように考えることは当然に必要だ。
しかしその手の疑いを全てのものにかけては息苦しい。
第一、そんなことをしてては楽しくない。
10の言葉を10疑わないでいることは座位が高い。
まずは1つ、疑わずに受け入れることから始めたい。
気がつけば9月はすぐそば。
あれだけ楽しみにしていた夏も夏風邪と共にさよならか。
次の季節は秋。
季節が完全に移り変わってしまう前に、
自分という人間がどのようして今のような価値観、考え方を身につけたのか、
自分自身を掘り下げて考えてみたい。
夏休み後半の課題である。
予想こそしていたものの忙しい。
先日、晴れて専門学校の特待生試験をパスした。
そんなに頑張れなかっただけに、結果にはびっくりした。
嬉しさ束の間、やることの多さに…うん。
試験をパスをした今、
あとは大学と専門学校を両立しながら
公務員試験合格という目標に向けてひたすら邁進するのみなのだが、
自分、本当に公務員になりたいのだろうか?
ここに記事を書くときは、
いつも何か迷いなどで、悶々としていることがあって、
「思い」や「考え」を言葉に、文にあらわす過程の中で
ひたすら自分に問いかけることで、答えを見つけようとしているのだが、
この問いばかりには、毎度のことながら答えが見つからない。
前回の記事にも書いていた気がするが、
「公務員になって何をしたいのか」がわからないのだ。
「公務員」の持つ職務の安定性と、社会的な響き、
また親族からの勧め、そういった自己の外部的要因から志望しているだけで、
自己の内部的要因、言わば自発的な「~をしたい!」という欲求からの志望が
あまり感じ取れないでいる。
「自分がしたいことは何か?」 「自分は今後どう生きていきたいのか?」
あまりにも漠然としている質問だが、
その質問に対して曖昧な答えしか出さないでいたら、きっと失敗する。
明確な意思のもとで、自己の将来を考え固めていかなければ、
何を目指すにしても、そして何をやるにしても続かないと思う。
では、自分の抱いてきた「したいこと」を振り返ってみる。
高校生のときにはあった。
当時は職の収入や安定性など考えてもいなかったから、
そんなことを思ったのかもしれないが、
当時は「ライター」になりたいと思っていた。
「ライター」と言ってもその種類は様々で、
思い始めたときは雑誌の影響で、
旅行記事などを書く「トラベルライター」になりたいと思っていたが、
それは次第にゲームやアニメなどのシナリオを書く
「シナリオライター」へと変化していった。
シナリオライターになりたいと思ったのは、
新海誠氏の「秒速5センチメートル」に魅せられたからだろう。
比較的少ない台詞と繊細な映像表現によって、
見てるものをその世界観に引き入れてしまう同氏の表現力に魅せられた。
「自分もこんな世界観を描いてみたい」と思った小生の少年心は、
思い出せば少し恥ずかしいが、
立派な「将来したいこと」の1つになっていた点で今となれば評価に値する。
今も「シナリオライター」になりたいかと聞かれれば、
もちろんなりたいが、職業とするには安定性に欠けてしまいそうという現実的側面から、
引き気味になってしまう。
高校生の頃と言ったって、高々数年前のことなのに、
随分と現実を見るようになったようだ(苦笑)
きっと、「将来の夢は?」という質問をされたら、
「自分の独自の世界観を完成させて、その世界観を具現化したゲームシナリオをつくること」
と答えるだろうし、
そんな夢を追うなら、それこそkey(リベラルアーツ)などゲーム会社で、
もしくは、旧友の同志を集めて、最高の仲間と共にシナリオ書きをするだろう。
しかし、「将来、職にしたいのは?」と聞かれたら、
その質問は夢よりも現実を意識したものだから、
安定した職や高給な職、また社会的評価のある職を選び答えるだろう。
となると、あくまで小生の考えの結果だが、
夢と職は併存しないものとなるようだ。
併存しない以上、それらは分けて考える必要があるわけだから、
「夢」は「夢」として、それを職としない限りで追い続け、
「職」は「職」として、自分の求める要件を満たすものを探すことが
妥当だと解するのが小生にとっては相当なのだろう。
なるほど、これで少し「答え」に繋がる糸口が見つかったかもしれない。
さて、最後に自分への課題を残しておこう。
「生きていく上での楽しさ」とはなんだろう?
人が自ら死を選ばずに生きていくのは、
それ相応に楽しさを生きる上で見つけているからだろう。
それでは、40歳無職無住居親族無し且つ容姿も悪いという人であっても
生きている以上毎日に何か楽しみを見つけているのだろうか?
自分がその立場だったら、到底楽しさなんぞ見つけられないだろうし、
自ら命を絶とうとすると思う。
他にも、他者からの教育に雁字搦めにされて、
いつしか疑問を呈することさえ忘れてしまった人、また疑問を呈することさえ覚えなかった人。
そんな人はずっとその世界で生きていくことを
運命付けられなくてはいけないのだろうか。
世界で起こる事象に「なんで?なぜ?」を呈することなく、
全てを受け入れて生きることも幸せなのだろうか。
「幸せのあり方は多様だから」
確かにその一言でこの問いかけは終わるだろう。
ではその多様な幸せは個々に見ていけばどんな幸せなのか。
人が何に幸せを見つけ出すのか興味がある。
