われわれがごく普通におちいりやすい愚かさの一つは、
神に何かを「与え」ようと思ったり、
「徳」や「行い」によって神の気に入ろうとすることである。
元来、われわれは、真実あるがままの神を決して知りうるものではない。
単に、真実の神から遠くかけはなれた、
きわめて人間的な、神の観念を持つにすぎない。
おまけにこの観念でさえ言葉では表わしえないか、
わずかに不完全な比喩で表現しようと努めるよりほかはない。
しかし次のことだけは、われわれも確かに知ることができる、
すなわち、神はわれわれの思考や直観にくらべて、
はかりがたく「偉大な主」であって、
われわれが神に与える名称や比喩的表現をもってしては
ただ神の偉大さを引き下げるにすぎないこと、
また、神の眼から見れば、人間たちの「徳」のどんな差異も、
全くあるかないかのほんの小さなものにちがいないということである。
神が喜ばれるのは、
おそらく、神へのひたすらな憧れと、
神に向かって手をさしのべることだけであろう。
そして最も神の気にいらないのは、
満ち足りた、富める、ひとりよがりな人間である。
(ルカによる福音書18:9-14)
(参考資料)
ヒルティ著草間平作・大和邦太郎訳「眠られぬ夜のために 第一部」岩波書店