闇にかがやく光
近ごろ 朝6時半と云えども まだ暗い
寒くなるようになってからは 血圧の関係もあり 早朝ウオーキングは止めている
でも 5時か5時半には 目が覚める 歳のせいか 早く寝るせいかは わからないが、、、
外は まだ真っ暗 歩こうなんて思はない あったかいベッドから なかなか抜け出せない
アプリで 聖書朗読を 聞きながら 神さまの事を考える 歳と共に目の疲れが出て来て
この聖書朗読は とっても助かっている 時代が進むって 良い事もあるな~ と感謝して毎日使っている
部屋も暖まり 服を着替えて サア~ 一日のスタート
主の前に祈り 賛美し 感謝で動き出す
その頃になって やっと外が明るく成って来る
それから 歩こうかと思っても 主婦にとっては 家事で追われる時間
ここ2カ月は 朝ウオーキングはしていない
やっぱり 暗やみは イヤだな~ 歩く気持ちさえ 萎えてしまう
今日は クリスマス礼拝 救い主イエス様がお生まれになった記念の礼拝
聖 書 ヨハネによる福音書 1章 9節
すべての人を 照らすまことの光りがあって 世に来た
イエス様が 生れた当時のその地方は ローマの支配下にあり 民は皆苦しんでいた
生きる希望 ・ 何のために生きるのか ・ 心の暗やみを歩いている人が 多かった
そんな人たちの心に 光が差し込むようにと 神さまは 「光の元なるひとり子」 をこの世に送って下さった
暗やみの心 とは 罪に支配されている心 その罪を取り除く為に 生れたイエス様
罪の罰として 十字架にかかるために 生れたイエス様 人間の想像をはるかに超えた 神の成せる御業
それが イエス様のお誕生だった 2、000年ほど経った今でも
イエス様は 私たち人間の為に「光の道」となって下さっている
イルミネーションの 光どころでない 「神の栄光の光」
光の源なるお方が わたしの心の中にいて下さり 人生の道しるべとなって下さっている
これほど 心強いモノはない
しかし 聖書には 10節 彼は世にいた そして 世は彼によってできたのであるが
世は 彼を知らずにいた 彼は自分のところにきたのに
自分の民は 彼を受け入れなかった と書かれてある
神の存在が信じられない人にとっては まことにもったいない事と 思う
主の導きって本当にある (*^_^*)
クリスマスと云えば 30数年前から 毎年ある障碍者施設を訪ね 皆さんと楽しい交流を続けていた
しかし 2020年 コロナ禍となって 訪問が出来なくなった
でも 何とか クリスマスの喜びと イエス様の愛を 伝えたいと願って
2020年はビデオレターを届けて ZOOM で交わった (映像での交わり・・・)
21年 ・ 22年は 施設の玄関先に 数名がお邪魔し
クリスマス曲を オカリナ演奏し 共に主のご降誕を喜び分かち合った
しかし 玄関ホールに出て来られた人数は 限られており みんなに会う事は 出来なかった
マスク越しに 声をかけ合い 「 元気でね 来年も 来ますね 」 と約束した
今年こそは と願いを持ちながら 準備をしていたが 5月に5類になったとは言え
コロナは完全に終息した訳でなく 最近でも 身近にいた人も 感染している
その上 今年は インフルエンザも 猛威を振るっているとの事
アチコチの学校で 学級閉鎖が 起きてる
11月の末 祈りながら 施設に電話を入れてみた
「 もう電話が 来るかな と待っていました 」 と明るい声が聞こえた 嬉しかった
「 今年も 未だ 完全終息ではないけれど ステージで して下さい 」 と言われ
やった~ と嬉しくなった 「 でも最後の 個人的な交わりや 飲食は出来ません 」
と言われ 勿論了解 中の大きなホールで 皆さんの顔を 見る事が出来る これは4年ぶり
本当に嬉しかった しかし エッツ どうしょう
ここ4年間は オカリナの練習は 積み上げて来たが 玄関先ならともかく
たくさんの人たちが 集まるホールの ステージで やるとなると オカリナだけではすまない
以前 一緒に 訪問した事のある フラダンスのメンバー達とは この4年間 ご無沙汰している
今 急に連絡しても 一ケ月も無いのに 引き受けてくれるか
連絡するが なかなかつながらない 着信歴に気付いて と願い祈っていると
10日の 日曜日 電話がかかって来た 長年のご無沙汰をお詫びし 施設訪問を話した
「 他のメンバーに聞いてみます その上で返事します 」 との事 主よ 祈った
その日の内に 返事があり 「 3人は行けます 」 との事 感謝 感謝
ある友人と話していると 「 この間 会った人が 腹話術をしている人でね 」 と情報が入った
「その人に 聞いてみて 施設訪問に行くんだけど 腹話術をしてくれる 」って
早速 連絡してくれて その場で O K をもらい 喜びながら 伝えてくれた
その他にも デジタル・サックス奏者 も起され 一週間の間に プログラムが 整った
聖 書 ピリピ人への手紙 2章 13節 ~ 14節
あなたがたのうちに働きかけて その願いを起させ
かつ 実現に至らせるのは神であって
それは神のよしとされるところだからである
すべてのことを つぶやかず 疑わないでしなさい
訪問の道を 開いて下さった主は その必要をも 満たして下さるお方
チッポケな自分の考えではなく 主が 用意して下さる事に 従って行けば
すべての必要を 満たして下さることを 改めて 体験させて頂いた
この水曜日 一つ心を持ったメンバーの方々と 共に施設訪問が出来
顔と顔を合わせて 交流出来る事を 嬉しく思っている
神の愛が 一人ひとりの上に 豊かにあるように
飼葉おけの赤ちゃん
先週は 火曜日と金曜日に 電車に乗って出かけた
最近は寒かったり 暖かかったり 着ていく物に困った
朝 寒いからと云って 着込んでいくと 部屋が暖房しているなら 暑くなる
かと言って 服は暖房想定して 薄着で厚手のコートを着ていくと 日中歩いていると汗ばみ
脱いで歩いても丁度いい晴天なら 荷物になる
12月に入ったと云っても この辺は まだまだ冬らしい寒さが無い
狭い日本列島でも 北海道や 北陸地方なんかは スゴイ雪らしい
これから この地方の人たちにとっては 晴天の日がどれほど 訪れるか
北陸地方に住む 友人が言っていた どんよりとした日が続くと 「冬季鬱になりそうだ」
この狭い日本に於いてでも こんなに地域によって違うとするなら
地球規模で 自然環境は 随分変化していると言われている
WHOは 「地球温暖化」 を 越えて 「地球沸騰化」 と発表した
海水の温度が 上昇して魚の生態系にも変化が出て来
また 海水温が高いため 沢山の水蒸気が発生し 大陸からの冷たい季節風と交わると 雪が発生する
アフリカに雨が降らなく 干ばつが続き 食料栽培が 出来なくなっていると聞く
世界各国の森林で 乾燥の為に 山火事が発生し
人間の力で消火に当たっても 何も押さえられない程になっている
片や 資本主義社会では 目まぐるしいほどの 人間的発展が進み
人間にとって快適な生活を 追い求めて 様々な電波の世界が 開発されている
果たして 本当に快適な生活になっているのか 今のこの世界を 天の父なる神様はどう見ておられるか
最近の自然界からの 現状を見ると 今の世界に対して 神は 警告を与えておられるように感じる
この12月 イエス様がこの地上に お生まれ下さったクリスマス
聖書によると 「マリヤは 馬小屋で 出産した」 と記録されている
人口調査のため ヨセフはダビデの家系だったので 登録するために ベツレヘムに向った
と書かれてある そこで 出産となった 神の御計画がそこに あらわされた
聖 書 マタイによる福音書 2章 6節 、7節
ところが 彼らがベツレヘムに 滞在している間に マリヤは月が満ちて
初子を産み 布にくるんで 飼葉おけの中に寝かせた
客間には 彼らのいる 余地 がなかったからである
生活の場であった ガリラヤを出て ユダヤのベツレヘムまで 来るのには
時間もかかり 体力にも 力尽きていた しかし そんな二人を見ても
先にダビデの村に着いていた 人たちは目にも入れず 心も向ける事はなかった
「客間には 彼らのいる余地が なかった」
正に この状態が 現代の神を神とせず 快適な生活を求め続けている 人間の姿ではないか
「 自然界が うめいている 」 「 地・球・沸・騰・化 」
今こそ 人類が 神さまの前に 砕かれて出る時ではないか
貧しい馬小屋で ひっそりとお生まれ下さったイエス様 こそ
褒めたたえるべきお方 メリークリスマス 主に 栄光あれ
待ち望む喜び
今日から アドベントに入った
アドベントとは 「メシア=キリストの誕生を待ち臨む」 準備期間の事
玄関先に ツリーを飾り 赤・オレンジ・青の 電飾を飾り付けた
入り口には 大きなリースを 取り付けた
12月に入ると 大掃除や片付けなど 気に成るけど それには気乗りしないで
クリスマスの飾り付けには 意気揚々と 倉庫から大きな箱を取り出して
ルンルンとした気分で 飾って行く
2人の孫たちに 箱型になったアドベントカレンダーを贈り 中に小さなお菓子を入れて
毎日 箱を開けるたびに お菓子が出て来る 楽しみと共に
一日一日 クリスマスが近づいて来る 「楽しみ」 も 味わってほしい と願っている
大人になると 特に毎日毎日が 追われている様で
エッ もう12月 って 気持ちが焦って来る
特に 世間では 12月を 「師走」 お坊さんが檀家を 走り回る時期 というらしく
とにかくみんなが アクセク ・ バタバタ してしまう
寒さも グ~ン と冷え込み 体も心も 寒々となって来る
そんな時に 希望のひかり「メシヤ・救い主の誕生」の事に 心を向けると癒される
今から 約2、000年ぐらい前の事 聖書に書かれている 状況が思い浮かんで来る
当時のイスラエルは ローマ帝国に支配され 民は自由ではなく 祭司や預言者も 活動は出来ていなかった
神さまの声を聞く人はいなく 多くの人々は 生きる希望が 持てないでいた
そんな中 信仰深い年老いたシメオンという人が 「救い主を見るまでは 死なない」 と云う啓示を受けていて
マリアとヨセフが宮に 幼な子イエスを連れて来た時
シメオンは喜び・神をほめたたえた と 書かれてある
聖 書 ルカによる福音書 2章 29節 ~ 32節
主よ 今こそ あなたはみ言葉のとおりに この僕を 安らかに去らせてくださいます
わたしの目が 今 あなたの救いを見たのですから。
この救いはあなたが万民のまえに お備えになったもので
異邦人を 照らす啓示の光 み民イスラエルの栄光であります
年老いた シメオンは その時代の事に心を 痛めていた
彼は 「主のつかわす救い主に会うまでは 死ぬ事はない」と聖霊の示しを受けていた
シメオンの待ち望んでいた 熱い思い どれほどだったか
そして 宮に入ってきた 親子を見た時 御霊に感じて 神をほめたたえた と記されてある
救い主を待ち望んでいた シメオンの気持ちを考える時
今の時代も あの当時と同じ様に 暗黒の時代になっているのでは と思う
だからこそ 救い主イエスキリストの誕生を 一人でも多くの人々と喜び合いたいと願う
飾り付けの次は いろんな人にクリスマスカードを書こう
今年も 障害者施設に オカリナ演奏に行き みんなと救い主の誕生を 分かち合おう
24日は クリスマス礼拝 & ランチョン どんな料理にしようかな
12月 忙しいけど 喜びあふれた クリスマスを待ち望む 楽しみがいっぱいある (*^_^*)
たくさんの人々に 神さまの御愛 ・光り ・希望 が 届きます様に
紅葉の美しさ
11月の終わりになり やっと木々の色が 変化し 鮮やかさが際立ってきた
イチョウは急に 黄色に姿を変え 夕陽を受けて 黄金の輝きとなり 目を楽しませてくれる
晩秋の代表 モミジ 赤ちゃんの手を 一杯広げたような 5つに広がる葉っぱ
真っ赤に燃える木が 青空をバックに 咲き(?)誇っている姿に しばし 見入ってしまう
今年の秋は なかなか暑さが去らず いつまでも 夏日を思わせる日が 続いていた
教会の前の 桜の木も 未だに茶色になった葉っぱが 残っていて 晩秋とは云えない暖かい日もあった
しかし この数日の間に グ~ンと冷え込んだ
北海道はもちろん 東京でも雪が降る日があったとか
瀬戸内海に面している 姫路でも先日、パラパラとアラレの様なモノが降った
急に 冷え込んだ日を 境に 各地で紅葉狩りの人出が 増えた
やはり 晩秋の美しい紅葉の為には 「冷え込み」 が 必要なんだな~
人生も そうかな~ と思う時がある
生きていく事は 良い事ばかりではない 時には 歓迎したくない事も起こる
その歓迎したくない物事こそ 後の人生には 必要だった という事もある
「冷え込み」は 生活上では あまり味わいたくない 暖まる事はやすらぎの様に感じる
しかし いつも同じ調子で すべてに満足し ピリッ とした時がなく
ノンベン・ダラリと過ごしていたら どうなるか 成長 ・ かがやき ・ 満たし は無い
紅葉が 美しく輝くのは 「冷え込み」 を 通ってこそ
人間も 「冷え込み」 を 通った者こそ 輝いているのでは と思う
聖 書 ヤコブの手紙 1章 2節 ~ 4節
あなたがたが いろいろな試練に合った場合
それをむしろ 非常に喜ばしいことと 思いなさい
あなたがたの知っているとおり 信仰がためされることによって
忍耐が生み出されるからである
だから なんら欠点のない 完全な でき上った人となるように
その忍耐力を 十分に働かせるがよい
「 忍 耐 力 」 忍耐って その時は辛いモノ ジーッと耐えるってシンドイ
でも 聖書は それによって 欠点のない ・ 完全な・でき上った人となる と云っている
紅葉が 色鮮やかになるためには 「冷え込み」=「試練」 を通る必要がある
自然界の 生き方を通して 神は私たちにも 語って下さっている
試練を 避けないで 嘆かないで 言い訳しないで 喜んで受けて行こう
そして 忍耐力を 付けて頂いて 輝いた人生が 過ごせたら良いな~ と
紅葉を見ながら 思い巡らした