辛いこと


過去のトラウマ




全部吐き出しました。




ありがとうございました。




誰も悪くないんです。




障害者に生まれてしまった姉も一生懸命生きています。


厳しい両親も、愛情があればこそ厳しかったんです。


彼の親も、ギャンブルに逃げてしまうほど苦しかったんだと思います。


彼が白血病になったのだって何も悪くありません。


私がゆがんで育ってしまったのも、仕方がないことだと思います。




みんな一生懸命だっただけなんだと思います。




これから先、私の給料では、


彼氏も姉も守ってあげることはできません。


親が死んだ後、私は生きていく自信がありません。




だけど、たくさん友達がいます。


いい子ばかりで、そのみんなが優しくて素敵な人たちばかりだから、


心から私の幸せを祈ってくれるから、


私は人生の選択を間違ってなかったと思います。


優しくしてくれたみんな


ありがとう!




生きてる限りは


今まで通り


一生懸命生きていきます。




茨の道に


決して咲かない薔薇の花を見つけられることができたら、


みなさんどうか、


私に「よく頑張ったね」と言ってもらえませんか?




今日で ブログ


終わりにします。




本当にありがとうございました。

私は何か辛いことが起きると、すぐに小さいときのトラウマに縛られます。


私はこの家に生まれさえしなければ、幸せになれたのにと。




とにかく辛かったけど、私はグレなかった。


人に自慢できるような悪いことはやったことがない。


辛いながらもなるべく明るく人に優しくと最善の道を選んできたつもりです。


できてなかったかもしれないけど、一生懸命生きてきました。




大人になったら、家族から解放されて、救われると思っていました。


でもまだまだ辛いことは起こりました。




17歳の時、姉が自殺未遂して血まみれで運ばれるところを見た。


18歳の時、母と姉が心中しようとした。




20歳で彼氏ができた。


そのころ、私は過食症で、食べては吐くを繰り返していた。


指をつっこんで吐くのがクセになっていた。


彼氏ができたことで、そのクセは治った。




彼氏の父親が大きな手術をして、謝金をした。


返済ができなくなった母親が借金をした。


うつ病になった彼の母はギャンブルに走った。


私と彼氏の貯めた結婚資金を無断で引き出し、全部ギャンブルに使っていた。


また、借金をした。すごい額だった。


彼氏が5年かけて謝金を返済した。


私も毎月 1万円だけ手伝った。


私が働いて借金返して、早く二人で結婚しようと


死にものぐるいで働いた。


いつの間にか、トップクラスの営業マンになれた。


過去の恐怖からと、仕事と彼氏を守らなければという責任感で


その代償として、24歳くらいからパニック障害になった。




25歳の時、彼氏は借金を返済し、結婚したいと言いだした。


私の両親は彼の親が借金したことを知っていたので、


猛反対した。


毎日おこられた。


「早く別れろ」


それが「早く死ね」に聞こえた。


私は完全に狂った。


私は今にも自殺しそうな病状だった。


「辛い」を他人に表現できなかった。


仕事を辞めた。


完全に燃え尽きた。


私はもう誰のためにも生きたくない。


自分のために生きたいと思った。




25、26歳は、有り金使い果たして遊びまくった。


岡山、鳥取、島根、山口、香川、愛媛、神戸、大阪、山梨、静岡、


グアム、イタリア、フランス


自分のためにお金を使えて、幸せだった。




このころ、姉は入退院を繰り返しながら、遠くで一人暮らしをしていた。


いいカウンセリングの先生をみつけ、かなり落ち着いていた。


ただそれは、私が不幸だったから、シメシメと思っていたからかもしれません。




お金が尽きてきたとき、ブログを始めた。


27歳くらいが私の人生の絶頂というくらい幸せだった。


姉とは絶縁状態、


姉が居なければ家族は仲良く過ごせた。


彼氏も借金がなくなり、笑顔が戻った。


よく結婚したいと言ってくれた。


ブログですごく優しい人たちと出逢えた。


再就職もできた。




私のような人間でも、幸せになれるのかもしれないと思った。




ブログで楽しい結婚準備日記を書こうと思っていた。


そしたら彼氏が白血病になった。


また彼の親が借金するのではないかと恐怖が蘇った。




彼の病気をだんだん受け入れるようになってきた。


そしたら姉からの電話が始まった。


私が結婚することがしれたら、どんなに暴れるか・・・


子どもの頃の恐怖が蘇った。




どうして今なのか、


どうして私にばかりこんなことが起きるのか、


どんなに考えても分からなかった。


幼稚園の時から分数の計算ができていたことも


そんな脳みそはなんの役にも立たなかった。




やっぱり私はダメな人間で、


けっして幸せになってはいけない人間なのだと思った。

私の両親は厳しいです。


小さい頃はすごい英才教育でした。


幼稚園の頃には


漢字もすこし書けるし、分数の計算まではできるようになってました。


ピアノの練習を怠ればビンタされたし、


小学校1年生で、分数の割り算が分からないというと


「おまえはバカか、信じられないと」怒られました。


「私はバカなんだ」と思って生きてきました。




私の姉は人格障害です。


他にもたくさん病名がついてます。


生まれつき脳が発達してないのかなんなのか、とにかく理性がないというかなんというか


コミュニケーションが取れません。


私は生まれたときから、姉にいじめられて育ちました。


「いじめ」という程度ではないと思う。


「虐待」の域だと思う。


自分に不都合がおきると


私が悪いのではないのに何時間も罵られるし、ひどいときには殴る蹴るでした。


物心ついたときからそうだったので、


どの家庭も、親と姉には絶対服従、末っ子は奴隷も当然なのだと思って過ごしてきました。


姉からも「お前はバカだ」と言われて育ったので、私は本当に自分はダメな人間なのだと思っていました。




姉は見た目 普通です。


1歳からペラペラしゃべり、3歳から自転車を乗り回し、


異様なまでに頭が良かった。


天才が生まれたと、親戚中チヤホヤして育てた。


ところが、他のところが育たなかった。


中学校から人とコミュニケーションが取れないことが浮き彫りになり、


ようやく両親がおかしいと気づきました。




私が中学校に入った頃に、


「ピピはお姉ちゃんが変わっとるって気づいとった?」と聞かれました。


「気づいてなかったん?」と言った。


その時 親に、姉から受けてきたことを話しました。


親は知らなかった。


家に帰ってからも仕事をしていて、私はほっとかされて育ったから、


いじめられてることに気づいてもらってなかった。




私がテストで100点をとったり、運動会で1位をとったり、


そんなとき、それは口に出してはいけないルールになっていました。


姉が暴れるから。


私によいことが起きると、嫉妬で姉は暴れます。


私立の進学校の中学受験に合格した時はとんでもなく暴れました。


だから普通の公立高校へ行きました。




私は中学生の時、みんなの家庭と私の家庭が少し違うことに気づいてきました。


私は、嬉しいときに喜ぶと「自慢か」と姉に殴られる、


悲しいときに悲しいというと「被害妄想、人から同情を買おうとする最低の人間だ」と怒られました。


だから、中学校にはいってから、


私は感情をいっさい出さないサイボーグになろうと思いました。


感情が人にバレたら、私のような人間は何を言われるか分からない、と毎日怖かった。


でも私がサイボーグになることで、お姉ちゃんは暴れない。


家族が安心して過ごせるんだと思った。


私は完全にゆがんだ性格になった。


でも自分を犠牲にして、私はなんてすばらしい人間だと勘違いしていた。




中学では人との接し方が全く分からなかった。


私がゆがんだ性格に気づいたのは、私に付けられたあだ名だった。


「冷血女」と言われていた。


知らなかった。


私は家族のために感情を押し殺して すごく優しい人間だと思っていたのに、


周りからは「笑わない、冷たい」と言われていた。


驚いた。




そして、また性格がゆがんだ。


今度は「笑えばいいんだ」と思った。


辛くても悲しくても、笑えばいいんだと思いこんでしまった。


高校生になってからは、とにかく笑った、これでもかというくらい笑った。


ありがたいことに友達がたくさんできた。


ビックリするくらいできた。


「私はバカで、天真爛漫の明るい人間です」というフリをしていれば友達もできる。


笑っていれば何とかなると思った。




それが今でも私を苦しめています。


辛いときに「ぜんぜん大丈夫ですよ~」


「大丈夫です、そんなのぜんぜん気にしてませんよ~」


と言ってしまう。




辛いことを冗談にして笑ってしまう。




一番肝心な


「私、今 死にそうに辛い」ということは、


今でも上手に人に言えません。




だからブログがとてもありがたい。