先日、友人の娘さんが自殺した。
18歳。
就職も決まっていたし、彼氏ともうまくいっていた。
原因が思い当たらない。
友人は、3年前に離婚。
2人の子らは、母親と暮らしていた。
この友人と知り合ったのは小学校4年のとき、私の小学校に転校してきた。
それから約40年成人しても、私が東京に引っ越しても、友人であり続けた。途中多少のブランクはあったものの、やはり親友と呼べる数少ない人間である。
私は、2年前にステージⅢの癌が見つかり、余命幾ばくもないと言われた。
今にして思えば貴重な経験だった。
何よりも、家族のの大切さ、有り難さが身にしみた。
失いかけて初めて解った事。
私の場合は、大切なものを未だ失ってはいない。
辛うじてであるが未だ生きているし、普通の生活ができている。
私は、決意した。
予てより勉強していた仏教を真剣に学ぼう!
そして、出家した。
更に原点に戻ろうと昔読んだ「スッタニパータブッダの言葉」を読み返している。
改めて、自分が幸せを見つけ、そして幸せになり、その幸せの見つけ方を少しでも多くの人に伝えよう。
それが、私が誓った残りの人生の生き方。
私は、友人に何を言うべきか迷った挙句言った。
貴重な経験を生かす事が娘の供養ではないだろうかと・・・
彼は、素直に聞いてくれた。
自分の身に降りかかった不幸な事。
それを悲しむだけでは不幸のままだ。
不幸は、幸せを知るチャンスでもあり、学習の機会でもある。
マイナス×マイナス=プラス なのだから・・・
不幸というマイナスを何とかしてプラスに転じさせられるはず。
その道を探る助けになるのがブッダの言葉のように思う。
個人的見解ではあるが、仏教は信じて救われるものではないような気がする。
何かを見出さなければ何もない。
絶対神の教えや規則が無い分自由だ。
古来からある経典や修行法により己の力で何かを見出さなければ始まらない。
見つけ方は人それぞれ、やり方も人それぞれ・・・
故に様々な宗派が生まれたのだろうが原点は一つ。
生きることに役立ててこその仏教だと思う。