『さみしさって生き延びるためのしくみ』なんだってー。
そんな感じで
さみしさの正体も対処の仕方も分からずに
生きてきたわけ
わけもわからず
ここに来て
脱力
だってさ、
こうも書いてあったの
人間の三大欲求、と同じくらいと。
生命の危機を感じるから、さみしさを感じるらしいの。
そこで、赤ちゃんなら泣いたり
抱っこを求めたり
誰かに触れたくなるのもそうかも。
そうやって安心を感じて成長、肉体も、精神も、脳も。
ここで、自身の生い立ちや子育ても振り返っちゃったんだよね。トホホ
そしてね、
思ったのよ。
自身の生い立ちや生きてきた軌跡になぞらえてね
人って、ていうか、いのちって
どうしたって生きちゃう方向に向かってる
生きちゃうってことは、
新奇探索性が発動しているはずで
(新奇探索性は元々備わっているもので、新しいことを知りたい、知る喜び、新しいことをやってみて感じる喜び、そういうもので、ドーパミンが出て、嬉しい、喜びになり、脳も成長するらしい)
生きちゃう方向に向かっているのに
知りたい
やりたい
新しいことにチャレンジしたい
という脳の正常な反応を無視するということは、
(例えば、クラスの誰かと比べて勉強出来ない、点数悪い、家が貧乏、進学出来ないなどなど
そんな理由で、拗ねて知りたい欲求、やりたい欲求、新しいことにチャレンジしたい欲求をないものにして、押し込めちゃう、おしやっちゃう)
生きていること
どうしたって生きちゃういのちの本質に
背いたことをしているわけで
生きてるの、いのちあるってこと
苦しいよね
生きづらいよね
私ってそうやって
なんとなくなんとなく生きてきたんだ
繕いながら。。。
今回、脳科学の一片に触れて
私は、かなり喜んでいます
さみしさが生き延びるためのしくみならば
このさみしさを感じられている私は
生きたくて生きたくてたまらないわけでしょ。
たのしく生きなくちゃね
身体が軽いよ。
心も軽いよ。
もう新しいことが始まっているから
今書いておかなくちゃね、って書いた文章。
2024.5.8〜9のこと。
2024.5.11
もう新しい私に産まれちゃってる。