自分の嫌なことをはっきり嫌と言えるようになると、相手に尊重されるようになる。

大切なのは、勇気を持って嫌だと言葉にすることだ。

理屈で相手を否定しているうちは、相手に軽く扱われる。

でも、他人を否定する為ではなく、自分を肯定する為に言葉を口にするなら、自分がどう感じているのか、相手にも伝わる。

相手を否定することは、自分を肯定することではない。
反対に、自分の嫌を肯定した時、自分が嫌がることをしてくる人間として相手を認めてる。

やったらやり返されるとか、自分がしたことは自分に還ってくるとかいう言葉があるが、何かを否定している時、私たちはその存在を認めていない。

自分が自分の正直な気持ちを認めなければ、相手も自分の正直な気持ちを認めてくれない。

自分の感情を押し殺していると、自分が何を感じているのかが分からなくなる。

だから、自分が傷付いたことや動揺したことを押し殺して心の底に沈めてしまうのではなく、傷付いたり動揺したりするのも自分なんだと認める。

自分は弱い。でも弱くて良いんだと認める。

人間は柔らかいものを弱いもの、硬いものを強いものとして、硬いものに憧れる傾向があるけれど、硬くなりたいなら死ねば良い。

死んだら硬くなれる。
だけど、皆本心では死にたくないし、生きたまま強くなりたいと思ってる。
強くてかっこいい自分を生きたいと思ってる。
それは当然のことだし、かっこよく生きる資格も自由も私たちにはある。

皆かっこよくなろうとして自分を否定しているけど、それは自分が他人に認められるか不安だからだ。

拒絶されて傷付くのが恐いから、自分を殺して表面を取り繕ってる。
でもそれってかっこわるい。
びくびくして縮こまってるだけだから。

皆自分が臆病なのは意識の深いところでは分かっていて、それをかっこわるいと思っているからエロ本やオタク趣味を隠そうとするように、気の小さい自分を暗くて狭いところに隠そうとする。

だけどそれってかっこわるい。
でも臆病なことを隠そうとすることがかっこわるいなら、臆病であることを認めてしまえばいい。

そうすれば何も隠す必要はなくなる。

臆病であることをさらけ出してしまえば、私たちが臆病であることを馬鹿にするのは、自分が臆病であることを認められない人間だけになる。

でも、私たちが自分が臆病であることを隠そうとすれば、私たちを馬鹿にするのは、真実を直視する勇気のある人間になる。

私は足を引っ張り合って生きるより、誰とでも対等に話せるような人生を送りたい。

だから、等身大の自分を認め、それを生きる。

そうすれば、私の周りに集まってくるのは、等身大の私を受け入れてくれる人だけになる。