2020.1.18.ソワレ
スタジオHIKARI
「シンベリン」
原作: W・シェイクスピア
脚色: 波多野敦絋
演出: 中山朋文


※ネタバレあります!



おはよーございます、テムです٩( ᐛ )و

昨夜はシンベリンを観てきました( ゚∀゚)
初シンベリン!
そして初の劇場、初の劇団。

開場して中に入るとそこはL字型客席でした。
で、トイレ近い人間には恐怖の120分一本勝負が告げられる(°Д°;)


開演。
暗闇からのオールキャスト合唱からスタート。

基本的には戯曲どおりだけどストレートでもなく?いや、セリフがカットされてるだけのようだからストレートなのか?
松岡訳なのか小田島訳なのか判断がつかない。きっと混合やね。

笑える演出もあったけどどちらかといえば真面目系。
ヤーキモーは期待どおり。
クロートン、想像よりちょいと怖かった。サー・アンドリュー・エイギュチーク的なものを想像してました。

戯曲を読んで、どこが物語の山場なのかよくわからないまま観劇に臨んだのですがやはり山は見つけられなかった笑
読んだときに、それぞれのキャラクターの個性(と各々にまつわるエピソード)が強いから観てるそのときは面白いんだろうけど観終わったらなんだかぼんやりしてしまうんだろうなぁという印象を受けたんですよね。
「いやー、いろいろあり過ぎだなシンベリン。事件が多すぎる。シェイクスピアも欲張ったもんだ」、ってな具合。

が、しかし!
しかしですよ、確かに盛り沢山すぎてぼやんとなりましたが最後の「これが世界だ」的なイノジェンのセリフで全てが腑に落ちた。
やられた( ꒪⌓꒪)
戯曲どおり、シンベリン王のセリフで終わってたらきっと何かが残る芝居ではなかったと思う。
では何が残ったかというと、それはこの世に生きる人は全員主役なんだなと。ああ、世界ってやつは良くも悪くも混沌としていて、でも結局根っこのところでは繋がっているのね、って。
(当たり前っちゃ当たり前なんですが笑)

他のシェイクスピア戯曲ってわりと明確な主役がいていわゆる助演がいて脇役がいてって感じだけど、「シンベリン」には助演的な立ち位置の人がいない気がする。普通に考えればイノジェンとポステュマスが主役なんだろうけど、(あとから考えれば)ヤーキモーやクロートンにもちゃんと世界に対する役割を感じた。←ここ重要。主役に対する役割じゃなくて世界に対する役割ね。
要は主役を引き立たせるために存在している役がいないような・・・あ、リオナータス家の亡霊か?
まあいいや笑
ヤーキモーはこの世の欲望、快楽であり、クロートンは愚、悪であり、ポステュマスは義、愛であるようにそれぞれにきちんと役割があってそれがぐっちゃぐっちゃになって出来上がってるのが世界なんだよ、ということ?(←自信ないから聞いてみる)

なんかうまく書けないけど「シンベリン」は「ハムレット」も「ロミジュリ」も「タイタス・アンドロニカス」もほとんど書き尽くした人間大好きシェイクスピアさんの総括に近いのかもなんて思ったりもする。人間の尊さも醜さも全て入りましたーって戯曲だったんだなと確認させてくれましたね。

もともとがそういう戯曲だからなんでしょうが、突出したインパクトのある場面はないけど全体としてグワワッとくるとでも言いましょうか、そのような印象でしたね。これを120分でまとめてるというのはすごいと思うし、役者さんたちの勢いの塩梅も丁度良かった。

今回の「シンベリン」だけを観ても面白いけど、他のシェイクスピア作品を知っていると面白さが増すと思う。同じ戯曲を違う演出家で楽しむのとはまた違う楽しさを感じさせてくれる舞台でした( ゚∀゚)


と、いうあたりで本日は終了です。
ありがとうございました(๑•̀ㅂ•́)و✧

次は「十二夜」やな。
ああ!マルヴォーリオォォォォォ!!