初の試みとしてブログを始めてみました。最初の投稿は「天城越え」石川さゆりさんの名曲…ではなく私が天城峠に赴いた時のお話です。
天城峠。伊豆半島に横たわり、修善寺・湯ヶ島〜河津の間に位置する大きな峠。わさびが有名で、付近には日本の滝百選に選ばれた[浄蓮の滝]や[河津七滝]があります。私は東京10:30発の特別急行踊り子9号に乗車し、修善寺へと赴きました。
伊豆の踊り子を片手にいざ修善寺へ。
185-200系。これが定期運行最後の三ヶ日だった
修善寺駅から歩いて行こうと思ったのですが、バスで行っても30分程かかる道のりを歩いて行こうとでもすれば、峠を越える前に日が暮れてしまい危険(実際、踊り子歩道が無ければ普通に遭難していました)と判断した為、バスでファストトラベルしました。
「気をつけていってらっしゃいね」運転士からの送り出しの言葉を背中に、いざ天城峠へ。と思ったのですが、バスから降ろされたのはなんとトンネルの目の前だったので驚きました。
[トンネルがあるとは聞いていたがトンネルの前に降ろされるとは聞いてないぞ]と思いつつ、マップ
を確認すると、これまた驚く事にトンネルの上にまたトンネルがあり、さらにその上が峠の頂上だそうです。トンネルの左側面には階段がありますが、岩や枯葉が足元を覆い尽くし、霜柱も形成されていて、かなり不安定な足場の段差でした。道中、完全に坂になった場所もありました。そんな階段を四苦八苦しつつも登りきり、漸く旧天城トンネルに出ました。
旧天城トンネル。石碑を見るのを忘れた。
このトンネルの上に行こうとも思いましたが、寒かったのと滑落した際の大怪我を考慮して止めておきました。トンネル内は氷柱が張り、外よりもひんやりとして居心地が良かった様に思います。それを抜けると、踊り子歩道に合流。これがとにかく長いのです。大正時代の人と現代人とでは体力が違うということを悟り、同時に当時の旅芸人の辛労を知りました。
寒天橋
道中、寒天橋
を渡りました。[天城越えで大々的に唄われているのに実際にはこんなに小さいのか]と少し拍子抜けしたのが第一印象でしたが、しかし、小さな橋でもこの上を川端康成氏と踊り子一行が通って行ったと考えると、比喩でも何でも無く文字通り"小説の世界に飛び込んだ"気持ちになりました。そんな感動を味わうのも束の間、体力は冬の気候と標高による気温の低さにじわりじわりと奪われて行き、身体が顫えてきた為、浄蓮の滝の見物を諦め、国道414号線を目指しました。約1.7時間程かかりましたが、私からすれば5時間以上歩いた様な、経過した時間以上の疲労が全身に染み渡りました。
景観は良いが、寒さ対策をしないと本当に苦痛である。
雑木林は都会では感じられない自然を満喫できるが、その中へ足を踏み入れてしまうと、途端に死のリスクが高まる。
しかし、踊り子歩道が無ければ恐らく私は道に迷い・彷徨い・野垂れ死んでいたと思うので、結果的に踊り子歩道が帰路へ導いてくれました。静岡県と川端康成氏、並びに踊り子一行には感謝です。その後、丁度の私の後ろからやってきた河津行きのバスに乗車。温浴施設があったらそれを利用しようと思っていたのですが、温泉宿の福田家を通り過ぎ、あっという間に河津駅に到着。駅前広場にあった温泉街特有のお湯で手を温め(体感温度で45〜6℃くらいですかね?少々熱く感じました)池袋行きの踊り子の乗車券並びに自由席特急券を購入し、乗車。池袋まで行きました。
東伊豆海岸線は特急踊り子、並びに伊豆急行線の1番の見所だろう。
伊豆熱川駅。温泉地の特色を活かした温泉発電は、温泉が多い日本に於いてもかなり珍しいものだという。
終点の池袋にて、E257-2000系。窓は開かない。新宿で降りれば良いのに何故か池袋まで買ってしまった。
今思えば折角温泉街に来たのだから修善寺温泉やら湯ヶ島温泉やらにでも浸かって来ればよかったのにと思いますが、行く機会はまだまだ充分ありますので(流石に1〜2月には行きませんが)次こそは温泉に浸かりたいです。また、河津は河津桜も有名である為、それを見物しに行くのもありかもしれませんね。


これは余談ですが、今年のダイヤ改正で踊り子号は全車指定席となりました。何が言いたいのかと言うと、帰りは自由席に乗った為、自由席が廃止される直前に自由席、それも新型車のものに乗る事ができたという事です。完全に無意識でしたが、これもまたかなり貴重な経験だと、今になって思います。

自由席にランプが灯っている(9と禁煙マークの間。画質が悪いが、自由席となっている)。踊り子でこれを見ることは恐らくもう二度と出来無いだろう。 



〈了〉