★古代天文学は占星術とともに~東洋の星座もおもしろい
『分野説』とは、古代中国において発展した占星思想であり、天上の星空の区画(十二次や二十八宿)と地上の国や地域(秦・周・楚・燕…など)を対応させ、天体の動きによって地上の吉凶禍福を読み解こうとする理論です。
『春秋左氏伝』や『国語』などから、少なくとも戦国時代(紀元前5~3世紀頃)には成立していたと考えられています。
この思想では、例えば特定の”星宿”に異変(彗星・惑星の接近・日食など)が起これば、それに対応する地上の地域に政治的・社会的な変動が起こると解釈されました。
すなわち、「天」と「地」は対応関係にあり、天象は地上の出来事を映す『鏡』であると考えられていたのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
例えば、次のような解釈がありました。
《周の武王が殷を伐ったとき、歳星(木星)が鶉火(じゆんか※十二次のひとつ)(=南)に位置していたことから、鶉火を周の分野とした(『国語』より)》
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
★もしこの思想が東アジア世界に広く共有されていたとすれば、古代日本においても同様の発想が何らかの形で受容・展開された可能性が考えられます。
『日本版分野説』は果たしてあったのでしょうか?
まず私が特に注目しているのは、延喜式神名帳に記載される名神大社226社の配置です。
諸国一之宮など地域の中核となる古社は、その多くが名神大社でもあり、これらを地理的に結び、その構造を分析すると、特定の幾何学パターンの構成や星座と対応する可能性を考えています。(神社の地上絵)
★名神大社をメインに一之宮など、特別な古社およそ300点をプロットしたデジタル地図やQGISソフトを活用し、距離や角度から配置の特性を分析します。(名神大社プロット図)
分布の密・疎に着目すると
そこには特徴的な”集中域”の存在の発見がありました。
《日本版分野説を星図と地図から推測!》
◆常陸国の7つの名神大社が北斗七星を構成
◆伊予国の6つの名神大社は南斗六星を構成
◆近江国の8つの名神大社はふたご座(井宿:琵琶湖)
◆伊勢・美濃・尾張の名神大社がオリオン座(参宿・伐)
◆讃岐・阿波・淡路の名神大社がさそり座(尾宿・心宿)
など…諸国と星宿の対応関係がありそうです。(※図参照)
例えば、琵琶湖を擁する近江国は井宿の分野である…など。
これらは正三角形・黄金三角形・直角二等辺三角形の3種の三角形を利用した基準線をベースに構成し
🔷四神・北方守護の玄武図と《北天の星座群(紫微)》を《東国》に重ねる
🔶四神・南方守護の朱雀図と《黄道※の星座群(二十八宿)》を《東海以西》に重ねる
(※二十八宿は黄道ではなく赤道とも。南の空の星座群)
という陰陽五行や四神思想、そして分野説にもとづく構想のもとに天の星座(星官/星宿)を地上に投影したのではないか?
古代中国の「分野説」は、天上の星宿と地上の地域を対応させる思想ですが、この日本の神社のような地上の特定地点を星に見立て、それらを結んで星宿そのものを地上に再現した事例については、私はまだ確認できていません。もし日本でそのような試みが行われていたとすれば、日本独自の展開であった可能性もあります。
『日本書紀』には天武天皇4年(675)、日本で初めてとされる占星台を設けた記事があり、7世紀末~8世紀初頭の築造とされるキトラ古墳には精緻な天文図が残されています。(キトラ星図)
これらは少なくとも、7世紀後半の日本において、国家レベルで天文・占星に関する知識が受容されていたことを示す重要な手がかりです。
また常設の建物を持たなかった祭祀の場が、神社として社殿が造営されるようになったのも天武天皇のころからとの説もあります。
天武天皇の時代は、遣唐使の派遣が長く途絶えていた時期でもあります。その一方で、律令の整備、天文・占星制度や都城建設、宗教政策など、律令国家形成にかかわるさまざまな制度整備が進められました。大陸から受容した思想や技術が、日本の国土や政治的条件に合わせて、独自に解釈・展開されていった可能性も考えてみたいところです。
たとえば、7世紀末に完成した日本初の本格的な都城である藤原京の空間構成が、宮殿を中心に配置するといった独自性を持つ点もヒントになるかもしれません。
果たして、その「天」の体系を、地上の国土や祭祀空間に対応させようとする発想まで存在したのだろうか?
神話や古代官社リストを手掛かりに星図と地図を重ね合わせることで、その可能性を探っているところです。
#分野説 #北斗七星 #キトラ星図 #占星台 #格子月進図
コロナ後の不調・後遺症で悩んでる方へ、
「生まれ変わり施術」をうけることで、
不調前の元の体に戻れるチャンスがある!




