最初に断っておきたいことが。

これからback numberという日本のロックバンドについて、そして清水依与吏(しみずいより)という同バンドのボーカル、及び全ての楽曲の作詞作曲を担当している人物について、色々なことを言います。

中にはちょっと、感情の昂りに任せて強めの言葉遣い(婉曲表現)になってしまう部分もあるかも知れません。でもとりあえずは、優しい語調でいたいと思ってるけど。

そうだね。だけどさ、その全てはback numberというバンド、そして清水依与吏という鬼才(変態)に対する称賛、絶賛の意図から来るものであること。とりあえずは、それだけでもわかっておいてほしいなぁと思ってるけど。暴言暴言称賛暴言くらいのバランスになる危険性は少し高めだけど、許してよ。

要するに「清水すげぇぇぇぇぇ」がしたいだけのことです。んんどうかなぁ。


①ここから本題。


2010年代以降の邦ロックにある程度明るい方。そうでなくとも、2021年現在に10代後半〜20代前半くらいの人はたぶん大体知っているであろう『back number』。詳しいことはwikiでも見といてください。僕もそんなに詳しくはない。

今回ちょっと取り上げて(槍玉に上げて)色々と私の言いたいことをぶつけるのは、恐らく最初期に売れたであろう、この楽曲。


たぶんサビくらいは聴いた事あるんじゃないかなぁ。
んんどうかなぁ。

以下に歌詞全文を載せます。

〜〜〜

花束 / back number
作詞作曲:清水依与吏

どう思う?これから2人でやっていけると思う?
んんどうかなぁでもとりあえずは
一緒にいたいと思ってるけど
そうだねだけどさ最後は私がフラれると思うな
んんどうかなぁでもとりあえずは
一緒にいてみようよ

浮気しても言わないでよね
知らなければ悲しくはならないでしょ
信用ないなぁ僕は僕なりに
真っ直ぐに君と向かい合いたいと思ってるよ

僕は何回だって何十回だって
君と抱き合って手を繋いでキスをして
思い出す度にニヤけてしまうような想い出を君と作るのさ
そりゃケンカもするだろうけど
それなら何回だって何十回だって
謝るし感謝の言葉もきっと忘れないから
ごめんごめんありがとうごめんくらいの
バランスになる危険性は少し高めだけど
許してよ

今までの僕は
曲がった事ばっかだった気がするんだよ
だからせめて君のとこには
まっすぐにまっすぐに走ってくよ

僕は何回だって何十回だって
君と抱き合って手を繋いでキスをして
甘い甘いこの気持ちを二人が忘れなければ
何も問題はないじゃない
ケンカもするんだろうけど
それなら何回だって何十回だって
謝るし感謝の言葉もきっと忘れないから
君とならどんな朝も夜も夕方だって
笑い合って生きていけるんじゃないかと
思うんだよ

どう思う?これから2人でやっていけると思う?
んんどうかなぁでもとりあえずは
僕は君が好きだよ

〜〜〜

この時点で『得も言われぬ違和感』を感じ取れた方は私とトモダチです。笑い合って生きていけるんじゃないかと思うんだよ。

「ふーん、普通の幸せなラブソングじゃん」と受け取ったそこの貴方。随分とおめでたいですわね(皮肉)。

『得も言われぬ違和感』を感じ取った方も、そうでない方も、ひとまず私の話を聞いてくれ。


②『花束』の構造


音楽的なことには明るくないので、詞(し)について語ることを徹底します。清水依与吏は文豪なのだ。もし平安貴族なら、それはそれは素晴らしい歌を詠んで、後世にまで語り継がれたであろう。たぶん清水は藤原定家の生まれ変わり。

まず大前提として、この『花束』の詞は

「AさんとBさんが会話をしている」形式で展開されている。

「どう思う?」とAさんが問いかけて、Bさんが「んんどうかなぁ」と返しているのだ。ここまではわかるね?

そしてこのAさんとBさんは恐らく恋人同士である。夫婦という線も考えたが、夫婦なら「フラれる」なんて言い方はしないだろう。「別れる」「離婚する」が妥当である。文豪清水がそんなくだらない間違いをする訳がない。そもそもフラれると思うんなら結婚なんかするな(怒り)。

たぶん「私がフラれると思うな」と言っているAさんが彼女で、「信用ないなぁ僕は僕なりに」と(ふざけたことを)宣っているBさんが彼氏なのであろう。

同性カップルの線もある。捨て切れない。たぶん星野源だったら「私」「僕」で分けたりせずに、同性カップルにもそのまま通じるラブソングを書いただろう。

まぁこれは(私の知る限り)明言されていないし、仮に清水が「男女カップルです!」と明言していたとしても、芸術作品は公開された時点で観客の物である。
受け手が好きに解釈すればいいのだ。国語の試験で作者の気持ちを問うたりするのは蒙昧なことである。

んんどうかなぁ。でもとりあえずは男女カップルの設定で行きたいと思ってるけど。


そんな訳で簡単に、花束カップルの会話劇をわかりやすくしてみた。

〜〜〜

「どう思う?これから2人でやっていけると思う?」

男「んんどうかなぁでもとりあえずは
一緒にいたいと思ってるけど」

「そうだね
だけどさ最後は私がフラれると思うな」

男「んんどうかなぁでもとりあえずは
一緒にいてみようよ」

「浮気しても言わないでよね
知らなければ悲しくはならないでしょ」

「信用ないなぁ僕は僕なりに
真っ直ぐに君と向かい合いたいと思ってるよ」

「僕は何回だって何十回だって
君と抱き合って手を繋いでキスをして
思い出す度にニヤけてしまうような想い出を君と作るのさ
そりゃケンカもするだろうけど
それなら何回だって何十回だって
謝るし感謝の言葉もきっと忘れないから
ごめんごめんありがとうごめんくらいの
バランスになる危険性は少し高めだけど
許してよ」

「今までの僕は
曲がった事ばっかだった気がするんだよ
だからせめて君のとこには
まっすぐにまっすぐに走ってくよ」

「僕は何回だって何十回だって
君と抱き合って手を繋いでキスをして
甘い甘いこの気持ちを二人が忘れなければ
何も問題はないじゃない
ケンカもするんだろうけど
それなら何回だって何十回だって
謝るし感謝の言葉もきっと忘れないから
君とならどんな朝も夜も夕方だって
笑い合って生きていけるんじゃないかと
思うんだよ」

「どう思う?これから2人でやっていけると思う?」

男「んんどうかなぁでもとりあえずは
僕は君が好きだよ」

〜〜〜


③『花束』の特異点。


男女の掛け合いからなる歌謡曲というのは古来ある。

ヒロシ&キーボーの『3年目の浮気』とか。
まぁ時代を感じさせる……。
(しかし本質は『花束』とそう変わらない)

いわゆるデュエットソング、みたいなものである。
アナ雪の『とびら開けて』とか、アラジンの『ホール・ニュー・ワールド』とかもその類かな。

デュエットソングの醍醐味というのは、当然、男女が共に歌うことにある。低音の男声と高音の女声とが織りなすハーモニー…みたいな(音楽知識の乏しさ)。

男声パートと女声パートを交互に繰り返したり、ハモったりすること。「音を楽しむ」という音楽の本質がそこにあるように思える(ヨーデルも高音と低音の繰り返しが楽しいよね)。


んで結局、何が言いたいのかというと……

『花束』くん、男女の比率おかしくね???


ということである。
そもそも男女の掛け合いで詞が構成されているにも関わらず、『花束』はデュエットソングではない。
清水という男性(本人の性自認は存じ上げないが)(女性目線の歌も何曲かあるし)が作り、奏で、歌っているのだ。

back numberがそういう形態なんだから、しょうがねーじゃん!というのはごもっとも。
しかし私もそれなりに多様なジャンルの楽曲を聴いてきたつもりではあるが……

「男三人のバンドが演奏し、男一人で歌い上げる、男女掛け合いソング」

というのは古今聴いたことがない。多分探せば色々あるんだろうが、珍しい部類に入るのは確実だと思う。

例えば紅白にも出たYOASOBIの『夜に駆ける』も、男女の出会い、交際、すれ違い、そして……という流れを描いたものである(と私は解釈しているのだが)。
しかしこれは「男女掛け合い」ではない。ヤバめの女の子に惚れてしまった「一人の」男の子目線で作詞されている。当然、歌い手は一人だ。(女性のシンガーが男性目線で歌っていること自体は、何ら珍しいことでもない。紀貫之だって同じようなことをしていたし、前述したように清水も女性目線の歌を幾つか作っている。『花束』が特異なのは「男女掛け合い」なのに「男一人」で歌っていることである)

そう、つまり


『花束』は「男女掛け合い」でありながら「デュエットソングではない」。


このように一風変わった楽曲となっているのには、ちゃーーーんと深い理由がある。清水の狙いはマリアナ海溝くらい深い。

そう、清水は「狙って」この状況を作り出したのだ。
カイジもびっくりの勝負師である。

〜〜〜

ここまで書いておいて思い出したが『木綿のハンカチーフ』も「男女掛け合い」なのに「デュエットソングじゃない」楽曲だった。有名どころを失念していて恥ずかしい。

『木綿のハンカチーフ』はね…なんて言えばいいんだろう…これもまた特別な狙いのある楽曲なんすよね。またどっか別の機会に取り上げたいです。

とにかく「男女掛け合い」で「デュエットソングじゃない」楽曲は、何かしら特別な意図が込められているものなのだ。

〜〜〜