韓国にきて、工場で働くのは嫌だった私


夫が脳梗塞で倒れ 

私が稼ぎ

私が家をたて直していく

という覚悟をして 

仕事をするときめ


일자리센터へ行ってきた


看護師を勧めらるかと思いきや

なんと勧められたのは

貿易会社の事務


日本語と 英語ができる という能力が

活用できる場を

なんとこの韓国で

探すことになった


私の夢、

英語を使う仕事をしてみたい

が意外な形で 叶うかもしれない

という状況になっている


今日相談に行ったのに

もう見つかったと言われ

面接を勧められた


私の人生が動き始める


私めっちゃ愛されてる

私を愛するすべての存在へ

心からありがとうございます


私は私を生き

家族を生かし

出会う人を生かしていきます



ミンスがヘルペスで発熱し、そのあとミンジが発熱。

やばい、これうつった?って思ったけど、そうじゃなかった。

でも私の唇にヘルペスが出た。

 

うつったというよりいうより、疲れてたのかな?

 

疲れるなんて大したことしてないのに何言ってるの?

 

自然とそんな声が頭の中で聞こえてた。

 

みんなもっとすごいことしてるのに

私なんて大したことしてないのに

好きなこともして、なんでこんなにやらなきゃいけないことが片付かないんだろう。

 

私が悪いんだ

 

そんな風に思って。

 

私が出来ることなんて限界があるのにね。

私が出来ることなんてそんなに大したことないのに。

 

そんな大したことがない私が、生活できてるの、奇跡じゃんね。

生かされてるの、奇跡じゃんね。

 

こんな私でも、諦めずに生かしてくださる存在がある。

 

私が私をご機嫌にして、私が私を充電していく必要がある。

 

でもね、私が苦しんでるときに手を差し伸べてくれる人がいる

助けになりたいと思ってくれる人がいる

 

これは私にとって宝物。

 

私がお金があるからじゃない、特別な能力があるからじゃない、

よっしーの力になりたいって思ってくれる人がたくさんいる。

 

それがどれほどありがたいことだろう。

 

私の財産。

 

本当に感謝。

 

皆さんが喜んでくれるから

私も幸せな気持ちになるから

また時々お力をお借りしに行きます。

 

そしてそんな自分を可愛いと思っちゃいます。

 

いつも本当にありがとうございます🥰

私の親は自己肯定感が低い

だから私に命令することはほとんどなかった

 

「お前の好きなようにしたらいい」

 

でもだからといって、私が好きなことをサポートしてくれるような両親でもなかった。

 

自分に自信がないから、自分の決定で私の人生の責任を取るのが怖かったんだと思う。

 

それ以上に、私を信じていてくれたのかもしれない。

 

だから私は親を頼ったり甘えたりしてこなかった。

いや、してたのかもしれないけど、自分の自覚としては甘えられない両親だった。

 

高校卒業してすぐ看護師になるために寮に入り、一人暮らしを始めた私を

親のように支えてくれた人にたくさん出会った。

 

いじめられていた時も、私が夜寝てる時にまで

「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝る姿を見て

心を痛めてくれていたのは

いつも「このくそあま!」と怒ってばかりのおじいちゃんだった。

 

 

両親も私の姿を見てどれだけ心を痛めていただろう。

学校が辛かった時、私には本があった。

ファンタジーが大好きだった。

 

 

ちびガリ難民孤児って言われていじめられたけど

今は159㎝までになり、実際の身長よりも背が高くみられるし、

ガリはスリムと言う言葉に置き換えられるようになった。

 

 

韓国に来て夫の家族にいじめられたり夫から暴力を受けたりした時も

教会のオンニたちが私のために祈ってくれたり

心配して声をかけてくれたり

ご飯に連れて行ってくれたり

夫の友達が私の肩を持ってくれたり

インターネットで出会った仲間たちが励ましてくれた

 

のちのそのインターネットで出会ったコミュニティーの仲間に

リアルで会える機会を得て、そこでも私は

「私はこんなに愛されてる」を実感する経験をさせてもらった。

 

 

どんなに辛いことがあっても

それ以上のいろんな支えを愛を得て

私は生かされてきた

 

私を活かそうとしてくれる存在が必ずいた

 

私は本当に愛されてた

 

そして今も

 

私は言葉が大好き

谷川俊太郎の詩が大好きで
言葉の持つ力
使い方によって見えてくる世界が違うこと
言葉から違う世界に入っていけちゃう感じが大好き

でも私、その言葉にめっちゃ囚われてたってことに気づいた

楽しいことが好き って自分で言ったら
楽しい にとらわれて

色々考えすぎッて言われたら
考えないようにしなちゃって思ってた

そこにとらわれすぎるのもよくないと
最近気づき始めた

頭でいろいろ考えて解決しようと生きてきて
そこにどんな感情を抱くのか
を無視してたことに気づいた

言葉は素晴らしい、大好き
だけど

自分の感覚、感情に目を向けてみよう

そしてなぜかモヤモヤしたら
何にモヤモヤしてるのか自分に問いかけてみよう

そういうところに大切にしたいもの、
すべきものがある

 

悪魔よしえ を出そうと思ったとき
真っ先に頭に浮かんだのは
夫のお姉さんでした


というのは私に「お前は悪魔だ」
と言った張本人だから


お前が何でここにいるのか意味がわからない
お前が来たせいでうちはボロボロだ
何で生きてるかわからない
お前みたいなやつが親で子供が可愛そうだ
お前は人じゃない、悪魔だ

そんな言葉の数々と共に
私が大切にしてるものを傷つけたり
私に用事を言いつけて外に行かせてる間に
勝手に持っていったり

説教を始めれば3時間くらい
正座で聞いてないといけなかったり
しかも目を見ると反抗的だと怒られる
下を向いてると聞いてないと怒られる
逃げ出しても追いかけられて捕まえられる


まぁそれはそれは様々な
私の人生のなかでも
最大級にインパクトをくださった方で


私は思い出したら泣けちゃうし
怖くて会いたくないってずっと思ってた


分家してからソウルに引っ越されて
それからなんだかんだ6年くらい会わなくなって
このまま会わなくなるのかな
って思ってた矢先


今日、お義母さんの家に行ったら
来られてました


以前の私だったら
恐怖心と憎しみで
それはそれは拷問のような時間を過ごすこと決定
だったんですけど


昨日お姉さんのことを考えた後だったからか
必要以上に怖がることもなく
普通に挨拶が出来まして

必要以上に肩に力を入れることもなく
イラっとする言い方は相変わらずされるのですが
そこに引っ張られること無くスッと流せたり
お姉さんの笑顔にホッとしたり

私、この人絶対許さないって
長い間決めてきてたんだなって
ふと気づいちゃいました

まぁいっか。
今もなんか吹っ掛けられたら切れちゃうかもだけど
過去のことに関してはもういいや
って思えて

自分の感情を無視して取り繕うんじゃなくて
向き合って感情を感じて
そりゃそうだよね、まぁいっかになると
恩讐が無くなり
人生が軽やかになるんだな
って感じた1日でした

私の人生に軽やかさが増した日でした😊




韓国に来てから13年…日本から10年ぶりくらいに友達が来てくれました✨

 

しかもなんと私の住む町まで来てくれて🥰

 

私がソウルまで行かなきゃって思ってたけど

結構遠いでしょ?身軽な私が行くよ^^

と言ってくれて💓

 

13年ぶりの韓国で、韓国語がよめるわけでもない彼女が

何とソウルから京畿道華城市まで!!

電車とバスに乗り継いで来てくれました!!

 

めっちゃ大冒険よね!!

 

正直私、夜勤明けの夫を置いて一人で出かけたことなかったし

どこかに出かけると言っても

夫が寝てる午後の時間に長くても2,3時間、みたいな感じだったので

 

家事もせずに夫を置いてどこに出かけるというのか?

お前は自分のことしか考えてないのか?

何も出来てないくせに好きなことばかりしやがって

等々

 

言われちゃう気がして

友だちに会いに行くことを言ってはあったけど

どのくらい出かけられるのか、不安だった

 

とりあえずご飯の準備して

ご飯を食べてもらってから出かけようと思って

食事をしてもらったら

 

「ご飯を食べに行くんだろ?俺が運転してやる」

と言ってくれて

 

彼は今日、夜勤入りの日なので

夜勤の前に休まないといけないから

大丈夫、何とかなる、行ってきますって言ったんだけど

 

雨も降ってるし、うちの周辺で観光できるような場所ってないから

どうしようって思ってた

 

結局彼が運転してくれて

近くの海と美味しいお店まで連れてってくれることになりました

 

 

いつもそうなんだけど

夫は私の大切な人に、私以上におもてなししてくれます

 

私の家族が来た時もそうでした

 

そうやって私の知り合いを安心させたいんだって

それも彼の愛情だなって思って。

 

というわけで、彼は結局、夜勤に行く3時間前まで一緒にいてくれて

彼女がバスや電車に無事に乗れたか行く直前まで心配してくれて

めっちゃ連絡くれて

結局休めなかったと思います💦

 

 

優しい人だなぁとしみじみ思いました。

 

 

でもね、彼の頑張りに私が感謝しきれなかったり

私の行動が彼の意に添わなかったりすると

あんなにやってやったのに と怒られるので

 

この感謝の思いを忘れないように

彼に頑張っていってよかったと思ってもらえるように

過ごしたいと思います

 

彼のおかげで友達とも素敵な時間を過ごせました✨

それに今度はうちに遊びに来てねと彼が言ってくれました^^

うちに私の友人を呼ぶのは嫌がられるかもと思って

選択肢に入れてなかったんですが、

今回のことでうちにお友達を呼べそうな雰囲気になりました💓

彼への感謝がたくさん💓

 

そして韓国語が読めないのに

バスと電車を乗り継いで私に会いに来てくれた勇気ある友人

太田癒加子さんにも感謝です🥰

あえて本当に嬉しかったです💓

来てくれて本当にありがとう💓

私は英語が好き

 

それは中学のころから

 

いじめられっ子だった私は学校はつらい場所で居場所はなかった

 

でも英語研究室に行ったらAETの先生がいて

練習して英語で話すと、英語で答えてくれた

 

伝わる喜びを知った

 

今思うと先生も慣れない日本で小さな女の子が

一生懸命勉強して英語を使おうと来てくれたら

可愛いと思ってくれたのかもしれない

 

当時の私は小3に間違えられるくらい小さくて

話す相手がいないから、一見暗い子だったと思う

 

そんな私が英語で話せる、先生が聞いてくれる

そしてGood job! Great! などといつも褒めてくれて

それがとても嬉しかった

 

英語の教科書をCD通りに発音する練習をして

1年生の英語の教科書はほぼ暗記した

 

その基礎があったから

私は英語が好きだったし、成績もよくなった

 

それがきっかけで英語科に進学することもできた

 

私が進学した英語科にはいじめはなかった

卒業まで誰一人辞めないような穏やかで平和なクラスだった

すごく楽しい学生生活だった

 

日本語をしゃべると水鉄砲で公開処刑されるという

英語しかしゃべっちゃいけない合宿があって、

そこには県内のAETの先生が8人くらい集まって

みんなでワイワイ過ごした

 

軽井沢の自然の中で最高のキャンプだったと記憶している

 

 

でも私の自己肯定感はいじめられた時のまま

英語を使う仕事をしてみたいけど、通訳しか知らないし

通訳は大変、私になんてなれるわけない

そう思って目指すこともしなかった

 

 

私は看護学校に進むことになり

看護師になるために5年勉強し、看護師の資格を取ってから2年目。

6年くらい離れていた英語をまた始めた。

 

当時前橋に住んでいた私は県庁で行われていた「グローバルカフェ」にも行くようになり

週2回の英会話レッスンと月2回のトピックトークに参加するようになり

少しずつ英語が上達していき

そこに集まっているネイティブの先生と友達になっていった

 

そこで私は

ネイティブの先生と

交流を持つようになった

 

その中で

富むものが貧しいものを支えるのは当たり前

ボランティアは普通

という友人たちに出会った。

 

彼らは寒いクリスマスの日に

「クリスマスはどんな人にも祝福があるべきだ」と言って

プレゼントをたくさん買って

前橋駅から高崎駅までホームレスを探して歩き、

プレゼントを渡すという企画を立てた。

結局一駅歩いたけどホームレスは見つからず、彼らの計画は終わった。

 

私は衝撃を受けた

見ず知らずの土地で、誰に頼まれたわけでもなく、それに評価されるわけでもない

ホームレスのために真冬の前橋高崎を歩くなんて。

 

あるときはThanks givingに呼ばれた

 

みんなで料理を持ち寄りホームパーティーをした

家の中はクリスマスソングがずっと流れてる

穏やかで楽しい空間の中

突然、「今年会った感謝」に対するスピーチが始まった

 

「愛する大切な家族とともにThanks givingは過ごせないけど

 日本に行くことを許してくれた家族に感謝し、

 日本でこんな素敵な仲間たちに出会えたことに感謝し、

 そんな仲間と素敵な時間を持てること

 今あるすべての環境に感謝します」

 

そうやってスピーチは進んでいく。全員だ。

 

私もスピーチした。

もう内容は覚えてないけど、振り絞って感謝の内容を伝えたことを覚えている。

 

そんな彼らといる中で、無力で何もできない、なぜいるのかわからないと思っていた自分だけど

もしかしたら私にも何かできることがあるかもしれない

そう思うようになった。

 

愛知万博があり、万博に行くと

たくさんの国の人が展示をしていて、
赤十字館では戦争に巻き込まれてる子供や劣悪な環境で済む子供の写真を見た。

発展途上国の国の子供たちの笑顔の写真を見た。

 

 

環境的に見たら絶対的にこんなに恵まれてる私より幸せそうな顔してる。

私何してんだろ。

私が出来ることがもっとあるんじゃないかな。

すべきことがあるんじゃないかな。

 

そこからボランティアやJICAに興味を持つようになった。

 

こうやって私に存在していいんだよ、君にも何かできるかもしれないよ

それを感じるきっかけを与えてくれたのが英語だった。

 

だから私はいまだに英語への憧れが捨てられないんだと思う。

 

広い視点をくれる新しい世界が英語にはあった。

 

そういうことを思い出させてくれた。

 

自己肯定感が低くて、何も考えられない私の視野を広げてくれた英語に感謝してるし

今ある環境の与えられた価値観の中で生きづらさを感じている人がいたら

英語が世界を広げてくれるかもよ?と思ってて、

そんなことが伝えられたらいいなと思ってるのかもしれない。

12/1にあったいいことⅡ
それはすごい非難のようなメッセージへの返し
実は先月から電話で日本語を教える会社でバイトしてまして
これが結構楽しくて


韓国の方と日本語で話せることを楽しんで
私教えるの好きなんだなって思って
やってたんですけど


授業の内容を録音して会社に提出しなければならず
録音しなきゃという緊張から
がちがちの授業になってしまい


でも提出したら
 

よしえ先生は上から目線で教え込むような言い方しかしないんですね。会話が弾まないどころか、会話を楽しむこともできていません。この学生は実力もあって、会話を楽しくできそうないい学生ですね。なのに、先生がとても冷たいです。立場が逆になってます。
もっとあたたかく、楽しい授業を目指してください。
と手厳しいメッセージをいただきました。


結構楽しんでやっていたし
学生さんにも楽しんでもらえてると思ってたので
とってもショックで
向き合いたくないくらい落ち込みました。


でもよく考えてみたら
録音しなくちゃだからちゃんとしなきゃ
みたいな緊張感だけが伝わって
こんなひどい評価をされたのかもしれない
と思えて


しかしこの言い方、ひどくない?
生徒さんには天使でスタッフには悪魔なのか?
と怒りがこみ上げてきました


誰かに相談しようかとも思ったけど
まずは私の思いを伝えてみようと
勇気を出して


不足はよくわかりますが具体的にどこが不足か教えてほしい
こういう言い方をされてとてもショックだった


と伝えました


すると


言っても響かない人がいるのでわざとショックを受けるような言い方をしました
教えようとてんぱって学生が先生と交流したがってるのを逃してしまうことが多いので、教えるのも大切だけど、温かく聞いてリアクションしてあげてね


と返ってきました


 

なるほど~
そういうことか!とすっきり。

 


前の私だったら私の思いなんて言えずに
なんかわかんないけど私が悪いらしい
と落ち込んでたと思います。

 


なんで悪いかは聞いたとは思いますが、
ショックだったことを伝えずに
恐怖心と不信感の中で
勤めていたと思います

 

私は単純に

これを伝えられる自分になれたことが嬉しかった

そして

そこからいい現実が引き寄せられたのも嬉しかった

 

私の思いを伝えることがみんなの幸せに繋がってる

それを実感できた気がして


まずは伝えられた自分に感謝
そしてそのおかげで相手の思いが見えたことに感謝✨


相手の思いや願いがわかると
意味もなく自分を攻撃することもなく
気持ちよく仕事が出来るなと実感しました。


そのあと、いつもの授業+アドバイスを意識して
2本授業の録音を送ったら
2本目「ずいぶんよくなりましたね」から
3本目「とっても良いですね」まで頂けるようになりました


改善のためにめっちゃ努力しなきゃ
って世界でずっと生きてきてたけど
自分の意識を変えて安心して取り組むことで
パフォーマンスがぐんと上がって
喜んでもらえるということも体験できました
日々勉強ですね~

18時にいつもより早い眠りについた次女。
まさかの4時起き😅
目に見える穴という穴(目鼻口耳)に指を突っ込んできたり
顔の上に乗っかってきたり
手をつないで歩きたかがったり...
泣いたりぐずったりせずに
笑いながら遊んでいる姿は
早朝でもかわいいものでした。

でも本人もやっぱり眠いみたいで
歩く姿が千鳥足
ふらふらと力なく
まるで酔っ払いでした🤣