私は英語が好き
それは中学のころから
いじめられっ子だった私は学校はつらい場所で居場所はなかった
でも英語研究室に行ったらAETの先生がいて
練習して英語で話すと、英語で答えてくれた
伝わる喜びを知った
今思うと先生も慣れない日本で小さな女の子が
一生懸命勉強して英語を使おうと来てくれたら
可愛いと思ってくれたのかもしれない
当時の私は小3に間違えられるくらい小さくて
話す相手がいないから、一見暗い子だったと思う
そんな私が英語で話せる、先生が聞いてくれる
そしてGood job! Great! などといつも褒めてくれて
それがとても嬉しかった
英語の教科書をCD通りに発音する練習をして
1年生の英語の教科書はほぼ暗記した
その基礎があったから
私は英語が好きだったし、成績もよくなった
それがきっかけで英語科に進学することもできた
私が進学した英語科にはいじめはなかった
卒業まで誰一人辞めないような穏やかで平和なクラスだった
すごく楽しい学生生活だった
日本語をしゃべると水鉄砲で公開処刑されるという
英語しかしゃべっちゃいけない合宿があって、
そこには県内のAETの先生が8人くらい集まって
みんなでワイワイ過ごした
軽井沢の自然の中で最高のキャンプだったと記憶している
でも私の自己肯定感はいじめられた時のまま
英語を使う仕事をしてみたいけど、通訳しか知らないし
通訳は大変、私になんてなれるわけない
そう思って目指すこともしなかった
私は看護学校に進むことになり
看護師になるために5年勉強し、看護師の資格を取ってから2年目。
6年くらい離れていた英語をまた始めた。
当時前橋に住んでいた私は県庁で行われていた「グローバルカフェ」にも行くようになり
週2回の英会話レッスンと月2回のトピックトークに参加するようになり
少しずつ英語が上達していき
そこに集まっているネイティブの先生と友達になっていった
そこで私は
ネイティブの先生と
交流を持つようになった
その中で
富むものが貧しいものを支えるのは当たり前
ボランティアは普通
という友人たちに出会った。
彼らは寒いクリスマスの日に
「クリスマスはどんな人にも祝福があるべきだ」と言って
プレゼントをたくさん買って
前橋駅から高崎駅までホームレスを探して歩き、
プレゼントを渡すという企画を立てた。
結局一駅歩いたけどホームレスは見つからず、彼らの計画は終わった。
私は衝撃を受けた
見ず知らずの土地で、誰に頼まれたわけでもなく、それに評価されるわけでもない
ホームレスのために真冬の前橋高崎を歩くなんて。
あるときはThanks givingに呼ばれた
みんなで料理を持ち寄りホームパーティーをした
家の中はクリスマスソングがずっと流れてる
穏やかで楽しい空間の中
突然、「今年会った感謝」に対するスピーチが始まった
「愛する大切な家族とともにThanks givingは過ごせないけど
日本に行くことを許してくれた家族に感謝し、
日本でこんな素敵な仲間たちに出会えたことに感謝し、
そんな仲間と素敵な時間を持てること
今あるすべての環境に感謝します」
そうやってスピーチは進んでいく。全員だ。
私もスピーチした。
もう内容は覚えてないけど、振り絞って感謝の内容を伝えたことを覚えている。
そんな彼らといる中で、無力で何もできない、なぜいるのかわからないと思っていた自分だけど
もしかしたら私にも何かできることがあるかもしれない
そう思うようになった。
愛知万博があり、万博に行くと
たくさんの国の人が展示をしていて、
赤十字館では戦争に巻き込まれてる子供や劣悪な環境で済む子供の写真を見た。
発展途上国の国の子供たちの笑顔の写真を見た。
環境的に見たら絶対的にこんなに恵まれてる私より幸せそうな顔してる。
私何してんだろ。
私が出来ることがもっとあるんじゃないかな。
すべきことがあるんじゃないかな。
そこからボランティアやJICAに興味を持つようになった。
こうやって私に存在していいんだよ、君にも何かできるかもしれないよ
それを感じるきっかけを与えてくれたのが英語だった。
だから私はいまだに英語への憧れが捨てられないんだと思う。
広い視点をくれる新しい世界が英語にはあった。
そういうことを思い出させてくれた。
自己肯定感が低くて、何も考えられない私の視野を広げてくれた英語に感謝してるし
今ある環境の与えられた価値観の中で生きづらさを感じている人がいたら
英語が世界を広げてくれるかもよ?と思ってて、
そんなことが伝えられたらいいなと思ってるのかもしれない。