― 苦しさの中で、眼差しが変わった日 ―

今日は、霊的にとても大きな恵みを頂いた一日だった。

英語講師の募集に当たったことをきっかけに、
「チャンスって、本当にあるんだ」
「神様はおられるんだ」
そう思えた。

まだ信じ切れているわけじゃない。
でも、信じていいかもしれないという小さなかけらをもらった感覚があった。

今すぐ叶わなくても、
今はまだ途中でも、
信じて希望を持って歩み続けること自体が道なのかもしれない
そう思えた。

夜には、
前進していないように見える私、
まだまだ足りないように見える私が、
実は確実に成長していることを、
目に見える形で示してもらった。


人間力大学では、これまでたくさんの学びを頂いてきた。
でも今回は
「すごい人たちばかり」という見方から一歩離れて、
同じ人間なのに、なぜ影響力を持つのか
そんな視点で見ることができた。

少しずつ、でも確実に、
私は前に進んでいるのだと思う。


最近、夫も落ち着いてきていて、
それ以上に、
私自身が夫に対して以前ほどイラつかなくなっていることに気づいた。

今まで家族を支えてきてくれたことへの
感謝の気持ちが、自然と湧いてきた。

これはきっと、
内側が少し整ってきた証拠なのだと思う。


もう一つ、大きな気づきがあった。

神様は、どんな私でも喜んでくださる。
それは、もう疑いがない。

でも、
真の御父母様や、
この道を整えてくださってきた先輩たちを見ると、
「私は何をしているんだろう」
と、私自身が私を非難していることにも気づいた。

それだけ、自分への期待が大きい。
だから出来ていない自分を、許せずにいた。

信仰が苦しかったのは、
その自己非難を、神様の声だと勘違いしていたからだった。


今は思う。

苦しい道を歩きたくないと思っていたけれど、
それでも歩もうとする私が喜ばれるのなら、
それは「感謝の道」なのだと。

先輩たちの大きな犠牲、
真の御父母様、
天の御父母様の喜びになれるなら、
この道を歩ませてもらえること自体が幸せなのだと。


今の私にできることは、
自分自身が、自分に神様の視点を向けてあげること

厳しい評価ではなく、
責める眼差しではなく、

「今日もここにいたね」
「それでも関係を切らなかったね」

そんな眼差しで自分を見ること。

そこから力を得て、
無理なく、自然に、
「神様の為に歩みたい」と思えるようになること。

それが、今の私にできる、
一番誠実な信仰なのかもしれない。