私が英語が好きだったのはネイティブの先生だけが理由ではありませんでした。
これは後になって気づいたのですが、英語の背後にある「キリスト教文化」に
少なからず心惹かれていました。
というのは例えば日常的な会話でも
「おはよう」が「いい朝ですね」だし、
「どういたしまして」が「気にしないでね」「いつでもどうぞ」「あなたの喜びが私の喜びです」だし、
「頑張ってね」が「あなたの幸運を祈っています」だし、
「お大事に」が「あなたに神のご加護がありますように」だし。
日本は感情を出さない表現が美しいとされますが、
英語の場合は、相手の幸せを願う言葉や
相手を尊重する表現が多いんです。
自分をないがしろにし続けてきた私にとってその言葉自体が暖かく私の中に入ってきました。
また、私が好きだったのが「リズムや韻」です。
言語の中でも英語は音楽のようだと言われますが、
その抑揚やリズムが好きでした。
看護学校を卒業し、看護師になってからも私は
某英会話スクールに通うようになったのですが、
そこでネイティブの先生と友達になって、交流を深めていくうちに
私が英語が好きだった理由がさらに見えてきました。
英語は自己表現をしっかりする言語です。
でも、人が話しているときはしっかり聞くように教育もされてくるんですね。
ですから、自分を含めた個々を尊重することを幼いころから学んでくるわけです。
私が出会った先生方はやはり先生をするくらいの方なので
生活水準が高かったのだと思いますが、
自己主張もしっかりしながら、相手もしっかりと尊重することのできる方々でした。
日本のように和を大切にし、なるべく衝突することなく、間違いを正しながら生きるのではなく、
個々の個性を尊重し、違いを認め、いい部分を高めていくのが英語だと感じました。
私が感動したのが「感謝祭Thanks giving party」に呼んでもらった時でした。
彼らは集まって「今年感謝すること」を一言ずつスピーチしていくのです。
「家族と離れて迎える感謝祭は寂しいですが、
自分を日本に行くことを理解してくれた家族に感謝し、
日本に来れたこと、
こんな素敵な友達と出会えてともに時間を過ごせることに感謝します。」
なんていう言葉が
何のためらいもなく彼らの口からスラスラ出てくるのです。
友達を目の前にして、こんな言葉、素直に言えるだろうか…と思いました。
その場にいた日本人は私一人で、
私の番になったときはかなり焦りました^^;
でも英語という言語を使うことで、日本語では絶対に言えないことが結構言えちゃったりするんです。
これが文化のすごさだなと実感しました。
また、彼らはボランティア精神も高い人たちでした。
クリスマスの日にダイソーで小さなプレゼントをたくさん買って、
前橋から高崎の駅まで歩きながらホームレスの人にプレゼントを渡して
クリスマスを楽しんでもらおうという企画を立てたりもしていました。
(残念❓ながら思ったほどホームレスがおらず、あまり渡せなかったみたいですが)
こんな文化に触れ、私は英語圏に実際に行ってみたくなり、
先生の母国だったカナダに一人旅に出ました。
自分でホームステイ先を探して、
現地はどこを回りたいのかあらかじめリサーチして、
初海外を体験しました。
しかし、ホームステイはかなり商業化されていて、
「ホストファミリーの義務」なことがあるのですが、
それ以外はノータッチでなんだか寂しい思いをしました。
でも、カナダに行くことで移民の英語を話す人にも出会い、
英語が世界語というのを身をもって感じました。
2005年には愛知万博で様々な国の方と英語でコミュニケーションを取ることができ
アトラクションを何倍も楽しむことが出来ました。
アフリカなどは英語の話されない国も多かったのですが、ほとんどの国の人と英語で会話が出来ました。
そうやっていろんな人とコミュニケーションをとる中で、
自分が人と触れ合うことも
外に出ることも
いろんなことに挑戦してみることも
大好きだということに気付き始めたのです。
まさに英語は引きこもってた私を解放してくれた強力なツールでした。