ありのままの自分を認めて受け入れましょう、ってよく聞くけど、
どうやって?ってずっと思っていた。
だが、最近コンサルを受ける機会があり気づいた。
私は結構自分の他人との違いを「恥じ」だと思って生きてきていた。
いろんな人にののしられたり、馬鹿にされたりしてきてしまったから、
また、馬鹿にされてると感じてきてしまったから。
馬鹿にされてきたのは、馬鹿にしている人と私の常識や考え方が違うからで、
そして私が違いを恥ずかしく思ったからで、
それ自体がよい悪いという事はないんだと気づいた。
私が持っている性質(特性、癖、ほかの人との違い)はただの性質。
例えば私はガサツで、周りが見えなくなると言われる。
これを別の言い方をするといろんなことが目に付く、行動力がある、一途だ、と言える。
それがいい悪いではなく、そういう面を持った自分だと知り、それを活かせる方法を探しながら上手に付き合っていく必要があるという事なんですね。
私の場合、
もともといじめられっ子で周りの目が気になっていた事や、
夫が亭主関白で自分以外の方法はありえないという考え方の下で生活してきたこともあり、
自分の行動や考え方が他と違うと恥ずかしいという思いが強かったように思います。
以前、「人生はゲームだ。与えられたカードに喜怒哀楽するのではなく、与えられたカードをどう使って勝つかが問題」みたいなことをどこかで見て、自分のおかれた環境、性格等に不平を言うのではなく、生かす道を考えるべきだとは思っていた。
しかし、自分を受け入れる方法はよくわかってなかった。
ようは、自分の持つ性質を「事実」として、それ以上でも、それ以下でもなく受け入れるという事なんだと知った。
私が長所、短所と思ってる事=他人との違い、自分のカード。
自分が傷ついていたり、ほかの人と違うと思っていることは
私に与えられた「個性」になる。
それを活かすことが私にとっても、周りにいる人にとってもプラスになる。
そう思えば傲慢になることも、卑下することもなく、私の個性を活かしていこうと思える。
まだ道は漠然としているが、諦めずに活かす道を探し続けようと思っている。
どうやって?ってずっと思っていた。
だが、最近コンサルを受ける機会があり気づいた。
私は結構自分の他人との違いを「恥じ」だと思って生きてきていた。
いろんな人にののしられたり、馬鹿にされたりしてきてしまったから、
また、馬鹿にされてると感じてきてしまったから。
馬鹿にされてきたのは、馬鹿にしている人と私の常識や考え方が違うからで、
そして私が違いを恥ずかしく思ったからで、
それ自体がよい悪いという事はないんだと気づいた。
私が持っている性質(特性、癖、ほかの人との違い)はただの性質。
例えば私はガサツで、周りが見えなくなると言われる。
これを別の言い方をするといろんなことが目に付く、行動力がある、一途だ、と言える。
それがいい悪いではなく、そういう面を持った自分だと知り、それを活かせる方法を探しながら上手に付き合っていく必要があるという事なんですね。
私の場合、
もともといじめられっ子で周りの目が気になっていた事や、
夫が亭主関白で自分以外の方法はありえないという考え方の下で生活してきたこともあり、
自分の行動や考え方が他と違うと恥ずかしいという思いが強かったように思います。
以前、「人生はゲームだ。与えられたカードに喜怒哀楽するのではなく、与えられたカードをどう使って勝つかが問題」みたいなことをどこかで見て、自分のおかれた環境、性格等に不平を言うのではなく、生かす道を考えるべきだとは思っていた。
しかし、自分を受け入れる方法はよくわかってなかった。
ようは、自分の持つ性質を「事実」として、それ以上でも、それ以下でもなく受け入れるという事なんだと知った。
私が長所、短所と思ってる事=他人との違い、自分のカード。
自分が傷ついていたり、ほかの人と違うと思っていることは
私に与えられた「個性」になる。
それを活かすことが私にとっても、周りにいる人にとってもプラスになる。
そう思えば傲慢になることも、卑下することもなく、私の個性を活かしていこうと思える。
まだ道は漠然としているが、諦めずに活かす道を探し続けようと思っている。