ネットでのやり取りって相手が見えなくて相手がどんな人なんだろって把握するのが簡単じゃないですよね。

それでも人と人とのつながりだから、信頼関係は大切。

いろんな成功者の方もだいたい、自己紹介文書いておられます。

自分を相手に伝わりやすいように表現するのにいいのが、動画での自己紹介。

幼少期、小中高の学生時代、大学・就職時代、転換期、現在という風に時系列的に追って、
その時々のエピソードを交えながら伝えていきます。

これをやっていくと、自分が抱える問題点が客観視できたり、
忘れていた強みを思いだしたり、
自分が何を望んでどこに向かおうとしているのか、考えなおしたり。
自分を見直すいい機会になります。


絵が書ける方ならホワイトボードに自分のストーリーに合わせて絵を描いていったらいいのですが、
絵が苦手な方はスライド写真などで紙芝居的に紹介していくのもありです。

私も本当は絵をかきたいのですが、微妙な表現を絵で描くことに挫折しました。

というわけで、スライド写真で小さな半生史、書いてみようと思います。

とりあえず、ストーリーは出来上がりました。これをスライドを入れて動画にしていきます‼

興味のある方は読んでみてくださいね。


1979年1月3日、母の実家である長野県飯田市で生を受けました。
でも実家は軽井沢。
その後、すぐ下に弟一人、妹3人という5人兄弟の長女として育ちました。
祖父母も同居だったので、祖父母、父母、兄弟5人の9人家族でした。
赤ん坊の時はおしゃべりが大好きで、言葉にならない言葉を言い続け、周りに疲れないのか心配され るほどだったそうです。
おしゃべり好きは今もですが。
でも静かにしなきゃならないときはちゃんと静かにできたし、親に言わせると手のかからない、おと なしく、いい子だったそうです。
私の記憶としてもうちはお金がないからわがまま言ったり駄々をこねたりしちゃいけないんだと思っ ていたことを覚えています。
保育園は園につくと嫌で嫌で園中を泣きまわって家に帰りたいと言ったそうです(自覚あり)
思えばこの時からお友達を作るのが苦手でした。
小学生の時はいじめられっ子でした。
いじめられても笑って越えようとしたので、喜んでると思われ、いじめはひどくなっていきました。
軽井沢は小さな町なので、中学は1つしかなく、全く同じメンバーが中学に上がるため、いじめは続 きました。
逃げたかったけど、不思議と死にたいとかまでは思いませんでした。
自分の存在価値がわからず、私はこの集団の中で一番醜い存在だと思っていました。
両親に天理教の信仰があったので、間違ったことはしなかったし、私は悪い人間だという考えはあり ませんでした。
でも、セルフイメージは最悪でした。
ただ、救いだったのは兄弟にとって私はいい姉だったので、ここでは存在価値がありました。
兄弟の前では面白いお姉ちゃん、いいお姉ちゃんでした。
美的センスゼロで、絵心も全くない私ですが、妹のためにテレビやアニメのキャラをお絵かきしてあ げたりしていました。
中学で英語に出会い、英語係となり英検に通う中で、ネイティブスピーカーの先生と接する機会が増
えました。
私自身も一生懸命英語を勉強しました。
コミュニケーションを取る中で、英語が日本語よりオープンで、肯定的で、楽しいコミュニケーショ ン手段だと感じ、英語が好きになりました。
そして高校は軽井沢高校の英語科に進学します(今は残念ながらないです)
ここで初めていじめのない平穏な学校生活を送りました。
しかし突然セルフイメージが高くなるわけもなく、自分に何が出来るか、具体的にイメージできず、 英語を活かせる仕事も思いつかず、とりあえず受けた短大に不合格。
しぶしぶ准看護学校に進学し、看護の世界に足を踏み入れます。
超田舎の温泉病院に就職し、午前は仕事、午後は学校という生活を2年続けます。
その後も7時から4時まで仕事をしてから、高看護学校という正看護師になるための学校に2年通いま した。
看護師になるのに5年かかっちゃいましたね。
田舎の温泉病院では、患者さんが高齢の方ばかりで、孫のような私は行くだけで喜んでいただけるこ ともありました。
仕事なのですが、「ありがとう」という言葉をたくさんもらえる仕事でした。
またいろんな患者さんとの出会いが私を育ててくれました。
それでもやはりスタッフとの人間関係構築は苦手でいつも見下されているように感じて苦しい日々で もありました。
このまま田舎にいてはいけない、と思い、県内では大きな病院に転職しました。
小児科を希望していたのになぜか手術室所属となりました。
スタッフやドクターとの接点がほとんどで、患者さんとの接点が少ない手術室での勤務で、いままで 患者さんに私自身が救われてきたことに気づきました。
私にも価値があるかもとセルフイメージを高くしてくださったのも患者さんでした。
どうにか病棟に移りたかったのですが、手術室は仕事を覚えるのに時間がかかるのと、移りたくても 移れずにいた先輩が多かったのもあり、移ることも出来ず、悶々と6年勤めました。
ここでもスタッフやドクターに見下されているように感じてしまっていました。
そして仕事もお金をもらうためにやっていました。
看護学校を卒業してからは大好きだった英語をまた学び始めました。
そこでネイティブの友達を作りました。
私は彼らとの交流や趣味のために仕事をしていました。
そんな中、JICAの存在を知り、私にも何かできるかもしれないと思い、応募してみましたが健康診断 で不合格。
そして仕事もやめました。
その後は尊敬する方の紹介で夫と出会い、2010年11月韓国へ。
2011年4月に結婚式を挙げ、2012年5月に長女を、そして2014年11月に長男を出産しました。
こちらに来ても文化の違いなどでいろいろありましたが、今は夫と2人の子供と暮らしています。
「こんなはずじゃない」と思ってきた心の中の叫びが今、真理や成功哲学を通して解かれようとして います。
解決策はすべて自分の中にあり、その力は誰にもあるという事を今は信じています。
全ての人がその人の持つ可能性を出し切り、支えあえる社会になるために、私に関わる全ての人が進 化し、私もそこから学び進化することが出来る、そんな人になりたいと思っています。
ありがとうございました。