今週末、私の尊敬し、いつも甘えさせてもらっているある家族に会い、お泊りさせていただいてきた。

全ての人には神様が与えてくださった神性(ギフト)がある。

しかし堕落性ゆえに神性が消されてしまったり、見えなくなってしまっている。

堕落性は認めたくないし、見つめたくないし、苦しく、痛いもの。

私はその堕落性を見つめ、克服していくというのは必要だし、その先に幸福があるという事も頭ではわかっていた。

でもその作業は辛く、厳しく、やりたくないことでもあった。


礼拝に行っても、牧師様のみ言を「そうだろうけど、そうなったらすごいけど、うちは無理。」
「神様は遠い存在」と思ってどこか遠くに自分で追いやってきていた。

でも今回、その友人であり、恩人である友人に道を開いてもらえた。

自分の中におられるのに、否定され、邪心や様々な悪い思いでかき消されてきてしまっていた神さまを呼び起こす方法を教えてもらったのだ。

様々な成功哲学で学んできたことの具体的な解決方法を教えてもらった。

私を幸福へ導きたいと願い、私の事情や信条に合わせて、与えてくださる神様に、目の前に起きていることを報告し、そこで感じる自分の心情を聞いてもらい、どうしたらいいか、尋ねる。

でもこれだと今すぐ答えが欲しくなるし、答えを感じられないと挫折する。

そこで、自分の中に浮かんでくる思いがよくないものだと自分でわかるのであれば、
「こんな風に感じてしまうのです。この心情を整理してください」とお願いするのだ。

怒りなら怒り、不安なら不安。
そういう感情が湧き出たとき、その思いのままに行動するとその思いのままの結果が当然生まれる。
けれどこれをすると自分を客観視できるし、今できる精一杯をしているので、「ああ、できてない」とか引きずらずに済む。

そしたら本来やるべきことなどにフォーカス出来る。


その先にあるものは私の人格者への道であり、心の平穏であり、夫婦一体化であり、子供の幸せの基盤。

認めたくない思いも一旦受け入れて、その思いを報告して、神様に尋ねる。

それを繰り返す訓練をしていきます。