人は幸せになる権利があるのではなく、幸せになる義務があるのだ 
これも斉藤一人さんがおっしゃってます。

すべての人の幸せを願い、この世に送ってくださっている絶対的な存在。
「私たちが存在する」という「結果」には必ず「原因」があるはず。
それは親だとも言えるが、親も私たちを手はこうして、足はこうなって、顔は…と作ったのではなく、いわばきっかけをくれた存在。
その絶対的な原因を「神様」と呼ぶ人もいるし、違う呼び方をする人もいる。
私たちという結果がある限り原因的存在は存在しないはずがない。

しかもその原因的存在は私たちの幸せを願ってすべてを作ってくださっている。
何かが間違って幸せじゃない人もたくさんいるけど、不幸のために作られた私たちではない。

だから「幸せ」に貪欲になり、必ず幸せになることが私たちの存在価値なんだ。

しかしなんだかこれが難しい。

最近はネットの発達でいろんな情報が簡単に入るようになって、いろんなことを学べるようになって来た。
これは素晴らしいことだが、逆に不幸へと陥れる誘惑ともなりえる。

持つべき知識を善悪の基準をしっかり持って見極めていかなければならない。

簡単じゃないけど、心の声にしっかり耳を傾けないとなと思う今日この頃です。