自分を大切にする日記

自分を大切にする日記

環境が変われば、人間関係も変わる(夫婦関係も一緒)
今を乗り越えれば、明るい未来が待っている!

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「夫婦といえども他人」ということを常に肝に銘じておこう。

 

今回喧嘩になった原因は、夫の超細かいところ。珍しく私が不機嫌になった。

夫は身の回りの細かいこと(特に自分以外がしたこと)が常に気になるらしい。例えば、私が飲むために開けた紅茶のティーバックの入ってた袋をそのままキッチンに置いたままにしていたところ、「また捨ててないし」と言ってくる。机の上に消しゴムのカスが少し残っていたら、「お願いだから捨ててくれない?」と言ってくる。食卓の下にご飯粒が落ちていたら、「ご飯粒落ちてるけど?」と言ってくる。お弁当箱の蓋のパッキンを外さないで洗っていたら、「パッキン毎回外して洗った方がいいと思うんだけど」と言ってくる。

これだけ聞くと、夫の言ってることは正しく、そして私がだらしない妻だと思われるだろう。しかし、私が言いたいのは、ここは学校でも職場でもない、家族が安らぐための生活の場所なのだ。その場所で、上司のように非常に細かいことを指摘してこられると、全然心が休まらない!!!子どもじゃないけど、ティーバックの袋なんて飲んでから片付けようと思っていたし、というかいつもそうしているし、それの一体何が悪い!消しゴムのカス?普通なら「あ、ごめん、残ってたね。今片付けるから。」で終わるところだけど、「お願いだから」って何だ?私同じこと何回もしたかい?そして、それはお願いするくらい重要なことなのかい?食卓の下にご飯粒が落ちてることなんて、小さい子どもがいたらよくあること。少し想像すれば、「今日は食事あげるの大変だったのかな」とか「忙しくて、拭く時間なかったのかな」など考えられるはず。お弁当箱の蓋のパッキンって、そりゃ毎回洗うに越したことはないけど、毎回外して洗うの結構大変なんです…。毎回洗ったことがない人からすれば、なんで外して洗わないの?ってなるよね。


夫の言ってることは傍目から見ると、正しいことに聞こえる。けれども、唯一欠如しているのは想像力!それを言う前にまずは想像してみてほしい。それで、あえて言わなくていいこともあるんじゃない?そしてもう一つ。言う前に自分でやれ!自分でやらないから、想像もできないし共感もできない。相手がしてないことに毎回イライラして言うぐらいなら、もう自分でやってしまった方が手っ取り早いんじゃないでしょうか。

 

最後に、夫が指摘してくる内容について。ティーバックの袋にしても、お弁当箱のパッキンにしても、それはあなたに迷惑がかかることなのでしょうか?いつもキッチンを使うのは私だし、お弁当箱も私が使っているのですが。だから私は腑に落ちない。なんでそんなことを言ってくるのか、誰のために言ってくるのか。

 

結論→つまり、夫は自分の(細かい)生活スタイルにそぐわない物や言動を見た時に、それを指摘しないと済まない性格なのだ。それを見たからには言わないと気が済まないというやつだ。でも、それを言う前に、私の生活スタイルについても考えてほしい。私は夫ほど細かくないし、なんならかなりおおざっぱだ。夫婦といえども他人。価値観の違う人間が同じ空間で生活している中で、どちらかが正しいなんてないのだ。だから、言ったもん勝ちなんかじゃない。これは夫婦でしっかり話し合うべき問題。それで、お互いの妥協点を見つけていくのが大事なことだと思う。

時間が過ぎれば、いつかふっと消えてなくなるんじゃないかと安易に考えていた。現実は、そうじゃないときもある。

 

今は相手の悪いところしか見えないかもしれないけど、その陰にはたくさん良いところや自分にはない魅力があったから相手を選んだはず。結婚したり、子どもができたら、相手の見えなかった部分が見えてきて、こんなはずじゃなかったなんてことは当然あること。それを知ろうともしなかったのかとか、隠していたのか、という話は別にして、相手のすべてを知ってから結婚するのだとすれば、10年あっても20年あっても足りないかもしれない。それに、相手の悪いところを知った時点で、その人と結婚するという選択肢はなくなるかもしれない。そしたら、また次の相手を10年、20年もかけて探すのだろうか。何が言いたいのかというと、結婚で一番大事なのは、相手のすべてを受け入れる覚悟だと思う。よく耳にする「変えられるのは自分のみ」という言葉があるが、まさにその通りだと思う。相手を変えようと思ったら、そう簡単にはいかない。それなら、自分が変わった方が早いという話だ。その上で、どうしても自分が変わることができなかったり、耐えられなくなったら、離婚を考えるのもありだ。だって、一緒にいて自分がつらくなるのなら、離れた方がいいに決まっている。

 

どんな夫婦にだって問題がある。結婚してから一回も言い争いや喧嘩もせず、互いに一つも不満のない夫婦がいたら、それはどれだけ自分の分身のような相手を選んだことだろうかと思う。もとは赤の他人なんだから、育った環境や価値観が違うのは当たり前。ということを理解していれば、そんなに相手の言動に腹を立てずに済むかもしれない。

 

今不満を抱えているのは相手のほう。それは私に対してというよりも根本にあるのは自分自身に対する不満のような気がする。自分の存在意義を他人に求めるから、相手から自分が満足のいく感謝の気持ちや行動が感じられないと、不満がどんどん溜まっていってしまうのだと思う。だから、小言や文句を言う。でも、それは自分が自分の人生を楽しめていれば、つまり自分の好きな仕事をやれていれば、自分自身に満足するはずなのだ。誰しもがみんな自分が仕事でつらいとき、他人に必要とされることを求めてしまう。現実逃避というよりもヘルプだ。じゃあ自分の仕事をもっと好きになればいいじゃないかと、そんな簡単なことが言えるのか?環境が変わったり、自分が意識を変えることができなければ難しいだろう。そうしたら、やはり今は自分が相手の欲求に応えてあげるしかないのだ。家庭の中で自分が必要とされていることを求めているのだから、①感謝をする、②頼る、③気にかけてあげる、④会話をする、ことが重要だろう。

 

不公平感という言葉をよく口にしていた。今、相手が不公平だと感じていることがあるとすれば、やはり時間の使い方だろう。自分はあくせく働いているその裏で、妻は子どもを幼稚園に預けて、自分の趣味に没頭している。しかし、それは在宅ワークの今、目に見えてしまうから不公平に感じるかもしれないが、私の時間の使い方は今までと何も変わらない。自分が仕事をしている横で妻が本を読んでいたら、たまらなくなるのはあるかもしれないが。自分はこんなにつらい思いをして、一体何のために働いているのか?お前はいいよな。と心の中でつぶやいているかもしれない。でもね、結局はないものねだりだと思うのです。今やっている仕事が自分のやりたい仕事じゃないから、仕事をしていないでのんびりしている妻がうらやましく思える。文句や小言も言う。俺だって働かないでのんびりしたい。でも私だって、自分の趣味を広げることなんかよりも、外に出て仕事をして、将来のために自分のスキルアップや経験につなげたいと思っている。でも、現状それはできない。それを、じゃあ俺と変わってくれよ。俺が家事と育児をするから、俺の代わりに仕事に行ってくれよ。というのはお門違いなんじゃないか?だって、私、代わりたくても代われないし。それに、やるなら自分のやりたい仕事をするよ。それに、家事と育児を馬鹿にするなよ。あなたが求めているのは、私と立場を代わることなんじゃなくて、自分がやりたい仕事をすることでしょう。それができないからもがいている。でも、それを解決できるのは、やはり私ではなく自分自身なのだ。環境が変わらなければ、自分を変えるしかない。意識を変えるのが難しければ、環境を変えるしかない。最悪やめるという選択もありえる。その答えを私に求めているのだとすれば、私はすんなりOKというだろう。もう日本に帰ろう。日本で自分の納得のいく好きな仕事をしてくれ。その方が私も気持ちがいいし、これ以上夫婦喧嘩が起こらなくて済む。

 

私のことを前は尊敬していたと言っていた。それはその時点では、私が自分の好きな仕事をしていて輝いて見えたから。今は家の中にいて、だらだらしている印象しかないのだろう。だとすると、無理もない。私の家事の仕方など目に付くところもあるし、それについて文句を言いたくなることもあるだろう。でも、それは私があなたの仕事の仕方にケチをつけているのと一緒。それ、本当に言わなきゃいけないことかい?言ったら満足するのかい?言われた相手も不満だし、それで、よし!言われた通りにやろう!なんて絶対ならない。一番満足する方法を知ってる?それは、自分のやり方で全部自分でするということ。そうすれば相手のやり方に満足できなくて自分がイライラすることもない。結局は言いたいだけで、自分がやるわけじゃない。だから、そういうことが言えるのです。

 

→結論。やはり今余裕のある方が余裕のない方に寄り添ってあげるべきだろう。だって、相手は常にヘルプを出してきてる。そして私に気付いてほしくて、あえて私が傷つくような言動を行うのだ(もはや子ども)。ただ本人はそれに気づいていない。この先自分だって、仕事やママ友の人間関係などで余裕がなくなるときが来るかもしれない。そのときに、相手に理解してもらえなかったら傷つくかもしれない。相手が求めていることがわかっているんだったら、今できる方がそれをしてあげる。

心を広く持て!大人になれ!