自分の尻尾 

 

 ある町に、とても賢い猫が住んでいました。この猫は、他の猫たちとは違い、自分の尻尾に興味を持っているようでした。いつも自分の尻尾を追いかけたり、噛んだりして遊んでいる姿が見られました。

 ある日、その猫は飼い主の男性から酷い仕打ちを受けました。男性は酔っ払って帰宅し、猫が自分の尻尾を追いかけているのを見て、怒り狂いました。そして、猫を殴りつけ、家の外に追い出してしまいました。

 訳もなく怒られ暴力を振るわれた猫は傷つき、迷子になってしまいました。彼は街をさまよい歩きながら、自分の尻尾を追いかける理由を考えました。なぜ自分の尻尾にこんなに興味を持っているのか、それは何かしらの意味があるのか、と。

 やがて、疲れ果てた猫は町の片隅で倒れてしまいました。すると、そこに住む老婆が猫を見つけ、やさしく介抱しました。老婆は猫に話しかけると、猫は自分の尻尾についての考えを打ち明けました。

 猫は言いました。「私は、自分の尻尾がどこにあるのか、常に意識していたいのです。それは、自分自身を見失わないためでもありますし、生きていることを実感するためでもあるのです。」

 老婆は微笑みながら猫をなで、家に招き入れました。そして、以後は猫と共に過ごすことになりました。猫は再び安心して自分の尻尾を追いかけることができるようになりました。

 

 老婆の家では、猫は自分の尻尾について深く考える時間を持つことができました。彼は自分の尻尾が、自分の一部でありながら別の存在でもあることに気づきました。そして、その尻尾が自分を喜ばせ、驚かせ、時には苦しめることもあることを理解しました。

 ある日、猫は窓の外で子猫たちが自分の尻尾を追いかけているのを見つけました。彼らは楽しそうに遊んでいました。猫は微笑みながら、自分が子猫たちのように無邪気に遊ぶことができる幸せを感じました。

その夜、猫は老婆のそばで眠りにつきました。彼は自分の尻尾に対する興味が、自分が生きていることへの確かな証拠であることを知りました。そして、自分の尻尾がなければ、自分は完全な存在ではないと感じました。

 猫は再び自分の尻尾を追いかけることができるようになりましたが、今度はそれが遊びではなく、自分の一部としての尊重と理解の表れであることを心に留めていました。そして、その姿は周囲に幸せと調和をもたらす存在となりました。

 

 老婆が猫に深く話しかけることなく、自由にさせた理由、それは、老婆が猫に対して深い信頼を持っていたためです。彼女は猫が自分自身を見つめ、考え、成長することを信じていたからです。

 もう一つの可能性としては、老婆が猫に自分自身を見つめる時間を与えることで、猫が自己を理解し、自己肯定感を高めることを望んだのでしょう。自分の尻尾に対する興味を通して、猫は自分の存在を深く考え、受け入れることができるようになると考えたからです。

 また、老婆は猫に対して束縛せず、自由にさせることで、猫が本来持っている知恵や能力を引き出すことを期待したと考えられます。だからこそ猫が自分の尻尾について考え、気づき、成長する過程で、猫が自分の賢さや魅力をさらに深く理解することができたのかもしれません。

 いずれにせよ、老婆は猫に対して深い愛情と尊重を持って接し、猫が自分自身と向き合い、成長する機会を得たのだと思われます。